日々雑記


入学式

2022-4-1

ほぼ満開の桜のもと入学式。知人の退職や転職、異動あり。

夕刻、帰宅途上の阪和線で外を眺めていると、南田辺のシャープ旧本社ビル北側は既に更地となって大きな掘方があちこちにでき、しばらく放置されていたが、ユンボなどが稼動している。
いよいよニトリの店舗が建設される予定。旧本社ビルも無人状態になって久しい。

時代の趨勢を感じざるを得ない。

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履修相談

2022-4-2

大学構内に机と椅子が並べられ、クラブ・サークルの“履修相談&勧誘”。

相変わらず、首からクラブ・サークル名のあるダンボールをぶら下げて雑踏のなか歩き回るが、ひと工夫欲しいところである。「この授業は楽単、これは落単」とアドバイスするのはいいが、公式的に文学部で新入生向けガイダンスと履修相談が実施。

第1学舎1~5号館の教室は、A~E号館と読み替えなければならない。第1学舎3号館3階第2教室は「C302」と表示されるので、ハンドブックなどにも記載されているが新入生向けには大きな地図が必要となる。
関大前通りには、既に文具等専門店が無くなった(ダイソーやコンビニはある)ので生協に入る必要がある、あるいは1号館の食堂と購買は生協カードがいらない、関大前通りの飲食店紹介などなど、“履修相談&勧誘”以外にも示すべき情報があるのだが、意外に提示されていないようである。
自ら体験してきた困りごとを忘れて先輩目線で“履修相談&勧誘”するのみ。
新入生を(戸惑うことなく)幸せにする在学生になろうよと思いつつ、実は社会人も人のために働いている、動いていることを忘れがち・・・。

午前中は大学院ガイダンス、午後は新入生向け専修紹介と“履修相談”。
手厚いケアというか過保護というか・・・。

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A版(その1)

2022-4-4

授業、特に一般教養科目についてなぜ講義ノートを取るのか。
建前上は一般教養の習得ながら、畢竟、単位習得のためである。(をいをい!)

講義の形式は主に以下の4通り。
① 教科書を使用
② レジュメ等を配布
③ 新聞記事、書籍のコピーを配布
④ 板書のみ、あるいはほぼしゃべり続けるのみ

過日開かれた“還暦同窓会”で、マドンナと称されていた同級生が「思い出の品」を探していたら、マドンナが講義の前半、こちらが後半を筆記した講義ノートが出てきたと告げられた(全く記憶にない)。40年近く前はスライド見せながら、教員がひたすらしゃべる④のパターンが一般的。

①教科書使用は、昔と同様に教科書に書き込みつつノートを取るのが普通ながら、今は、②レジュメ等を配布、③新聞記事、書籍のコピーの配布が一般的である。しかし②については、B版からA版への規格変更という大きな変化もある。

1993年に「行政文書の用紙規格のA判化に係る実施方針について」が出され、文書の主流はB5からA4となり、配布レジュメ等もA版へと移行。ただ③新聞記事、書籍のコピーはB版も健在。

通学リュックの中は、教科書、ノート、配布レジュメ、その他(化粧ポーチなど)で満ちてかなりの重荷となる・・・。

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A版(その2)

2022-4-5

教科書、ノート、配布レジュメなどを立てて揃えてみると、教科書以外で不揃いなのは、ノートと新聞記事、書籍のコピー。ノートは未だB版が主流。1日3~4の授業があるとノートも同数が必要。
これらをノートに合わせて揃えるとなるとかなりの手間。
毎回、各レジュメ類を縮小コピーする?

これを1冊にまとめたい人は、ルーズリーフ(A4版)とクリアファイル(A4版)がオススメ。綴るのは、A4紙ファイルかA4バインダー。いずれも百均にて販売。

ルーズリーフは左(30穴が右側)を使用。 講義内容(分からなければ聞き取れる単語)を記す。右側にはクリアファイルに入れたA版のレジュメ等。新聞記事・書籍のコピーもクリアファイルに入れてA4版に。
これでレジュメ等の紛失も少なくなるし、復習もルーズリーフの内容や単語をもとに新たな1枚にまとめることが出来る。
ただし、授業後はすぐさま閉じないと紛失するとたいへんなことに。

けっこうオススメなのだが、前高校生の習性はかなり保守的で、これまで通りB版ノートを使用。通学リュックは常に重そう。

今日から授業開始。夕刻、2校返却、校了。

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瞬間湯沸かし器”ヤハウェ”

2022-4-7

旧約聖書の神 ヤハウェは、なにかとすぐキレる性格。

天地創造したらと思ったら、ノアの箱舟以外の人や動物を大洪水で全滅させるし、バベルの塔がちょっと高いだけで、言葉を通じなくさせたりと好き放題。

超高齢アブラハムにようやくイサクが生まれたら、生贄にしろと命じる(天使が阻止)。
モーセが神に祈りイスラエルの民にマナを降らせてあげるも、わがままな民は今度は「水が欲しい!」「水を!」とせがまれ、やむなく杖で岩を打って水を与える。
モーセが岩を打つも水は出ない・・・。
「あれっ、おかしいなぁ?」と、モーセが再び岩を打つとようやく水が出てくる。
それを見たヤハウェは「2度、岩を打ったな・・・神を信じなかったな」と、モーセは、目指す「カナンの地」を踏めないと神から宣告される。
ほとんどヤカラ状態・・・。

バチカンのラファエロ・ロッジアには、2度目と指を立てるヤハウェが描かれる。

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達身寺

2022-4-8

朝から好天、丹波・達身寺へ。

十九山の達身堂が前身。元禄8年(1695)にこの周辺に疫病が流行し、占ってもらったところ、「三宝を犯した仏罰である。」と言われたので、十九山の荒廃した達身堂を現在の地に移し修繕の後、仏像を安置したとする。
曹洞宗達身寺の創建は正徳2年(1712)。宝暦10年(1760)には、水谷作之進方昭、井上友之丞、大畠五良右門が薬師如来坐像を修繕。

パンフレットを見ていた家人。「丹波講師快慶」とあるけど、と。
難しいよね。同じ時代に定慶という仏師、鞍馬寺聖観音像を造った仏師やねんけど「肥後別当定慶」とあって、熊本出身かというとそうではないので、国名も肩書のひとつと考えた方がええ、と車中でミニ講義。

あちこちの桜は今が満開。

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「常刕江戸崎不動院」展

2022-4-11

稲敷市立歴史民俗資料館で天海僧正に関する特別展(2月18日~3月27日 4月24日)が開催中。
天正19年(1591)江戸崎城主 蘆名盛重が江戸崎不動院中興開山に随風(天海)を第八世住職として迎えた前後の南光坊天海(慈眼大師)の展覧会。

関心のある講演会は既に3月下旬に終了だが、仏像も本尊不動明王像や如来立像(飛鳥時代後期)、慈眼大師像、如意輪観音坐像など13件が展示。

釈迦如来坐像(元禄8年)の「宮内法眼壽慶」は同年に印西市多聞院・阿弥陀如来坐像を制作した「鎌倉仏工末」であろうか。「宮内幽慶」も同時期に活動した鎌倉仏師のひとり。

興味津々の展示。さっそく手帳を広げて思案。

授業1週目、終了。

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やっぱ、スケールが違う

2022-4-12

「伴大納言絵詞」出納の子供と舎人の子供の喧嘩や「信貴山縁起絵巻」尼公の東大寺大仏殿での祈りなど、日本美術での異時同図法の例は、枚挙にいとまない。

たまたま西洋絵画を見ていたら、こちらも異時同図法がずらり。ボッティチェリ描くモーセの前半生(出エジプトまで)やルカ・シニョレッリのモーセの晩年などが異時同図法を採用している。
上はルーカス・クラナッハ(父)「楽園」(1530年)。
画面右端は神が土塵からアダムを創造、次にアダムのあばら骨からエバ(イブ)を造り、画面中央下に神がうまく出来たと祝福、その後、右上に移って禁断の木の実を食べるふたり。裸を恥じて木陰に隠れるも雲から神が「見てるでぇ」と。そして左端には大天使ミカエルに追われて、楽園追放。

楽園追放後、アダムとエバ(イブ)の末っ子セツが生まれるのはアダムが130歳。
ざっと1世紀以上の”異時同図法”。

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仏師版「カインとアベル」(1)

2022-4-11

アダムとエバの子、カイン(兄:農夫)とアベル(弟:羊飼い)。
二人は神へ捧げ物。カインは農作物、アベルは羊を捧げるも、神はアベルの羊ばかりを受け取る。カインはアベルに嫉妬しアベルを殺してしまう。人類史上初の殺人事件。

替って平安時代。仏師円勢には長円(兄:仏師)と賢円(弟:仏師)がいる。兄弟は不和の仲。大治4年(1129)閏7月に女院御願の阿弥陀仏5仏が完成。中尊は父による制作だが、脇侍は兄弟で制作。その折、寸法を5尺にするか4尺5寸にするかで口論。 結局、まとまらずに像高の異なったが脇侍が並立することに・・・。

賢円の弟子円春。円春は皇后宮亮信雅の子。貴族出身の仏師である。円春は最初長円の養子となったが、後には賢円の弟子になり、法橋位にもなるが、久寿2年(1155)に長円の舎弟を殺害、常陸国に流罪となる。

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仏師版「カインとアベル」(2)

2022-4-12

長円は財力も政治力もあったようでコネも使って名誉欲にかられる。いっぽう賢円は久寿元年(1154)に等身薬師像の賞として鳥羽上皇から馬を賜るが、「家貧無貯」(餌代もバカにならない)として馬よりも鴨院南町の土地が欲しいと。

大治4年(1129)11月10日、長円は院宣と藤原家の氏長者の宣旨をもって康助が所持する「興福寺大仏師職」就任の報告を興福寺に伝える。しかし帰途、奈良坂で二百人の興福寺僧兵(大衆)に襲撃。流石に殺されはしなかったが、額を割られ、衣まで剥ぎ取られ、命からがら京都に帰る。
翌日、興福寺からの詫びの使者いわく、「長円が清水寺(当時は興福寺末寺)別当になる噂を聞いて、大衆が激怒した」と。
かくして、長円の「興福寺大仏師職」就任は流れて大仏師職は康助がそのまま保持したものの、11月31日には勅旨を以って円勢以来の「清水寺別当」に就任。
流石の興福寺僧兵も反抗できない・・・。

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ドガは扱わない

2022-4-14

印象派の画家とされるエドガー・ドガ。

正直に言ってあまり好きではない。今年のプレスチューデント課題レポートにもあったが、作品をよく見ていない。
左は、ドガ<エトワール>(1878年頃)。
画面左上の黒い服の男は誰かと問うと、劇場の支配人あるいは舞台関係者と多くは回答。実は、踊り子を愛人にした(しようとする)オッサンである。

ドガは銀行家の長男。親の負債を返済しないといけないので、油彩ではなく即乾性のあるパステルで多くの作品を描いている。
踊り子の作品には、舞台監督も描かれるが、「あれがワシのこれや!」と小指を立てそうなオッサン連中を描き込む作品も多い。

彫刻に至ってはもっとキモい。
ワシントン・ナショナルギャラリーに「14歳の小さな踊り子」が所蔵。14歳の裸体モデルがデンマークにある。それに本物の胴着、チュチュ、バレエシューズ、人の毛髪のかつらを着せ、蝋で固めた蝋人形。
何も知らない14歳を裸体モデルに使うなど、「破滅に他ならない」と批評され、評価は決して高くない。そういう性癖がドガにはあるのだろう。

授業でドガは扱わない。

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死のロード

2022-4-15

阪神タイガースが13日時点で16試合1勝14敗1引分けで、勝率は・067とのニュース(野球も全く興味ないが)。「死のロード」とは、昔、阪神の本拠地甲子園球場が高校野球のため各地に遠征し、成績が悪くなっていったことから呼ばれた名称である。

今日から4週にわたるリレー講義。1・2・4・5時限と、計6時間の講義・演習。
終わってみれば、もうぐったり。

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庵野秀明展

2022-4-20

あべのハルカス美術館で16日から「庵野秀明展」が開催。辛うじてタイトルを知っている作品は、『新世紀エヴァンゲリオン』。
NERV本部には、「カスパール」「メルキオール」「バルタザール」の3基のスーパーコンピュータ。あわせて『MAGI』(東方三博士)。

それはさておき、一般入館料1900円、限定(1人1冊のみ)図録4620円、計6520円である。
"その筋"の人たちが来館、購入するのだろうが、強気の設定。大阪のおばちゃんたちもびっくりであろう。私もびっくり。

山口県立美術館、新潟県立万代島美術館を回ってハルカス。この後、国立新美術館、大分県立美術館へと巡回。
いいのよ、いいのよ。これでガッツリ収益、入館者をあげておかないと来年の予算計上にも響く。なんか出版社と同じ構造。マンガで稼いで一般書、学術書を刊行する・・・。

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”しもうさ”

2022-4-23~24

北関東へ。

午後、千葉某所で近世仏像修復の相談。
とあるご縁によりこちらに相談。盗難の恐れはないものの、簡略に調査しながらご相談を承る。「(HP等での)公表はまかりならぬ」(よくご覧です!)ということで、以下省略。長い相談の後、佐原へ向かう。

翌朝、佐原駅から桜東バスに乗って中神。昨夜メールを確認すると、知人が中神でお待ちしていますとのご連絡。
中神で迎えに来られていた。恐縮。
稲敷市立歴史民俗資料館「常州江戸崎不動院」展へ。
(画像は「稲敷資料館日々抄」から)
興味深い資料が展示。拝見後、関係者からいくつかの質問。
一木造ながら玉眼嵌入の像。
「打診(コンコン)しても頭・躰部が一木造ですが?」と。
これは近世にありがちなパターン。ひとつは、古い仏像を近世に修復する際、近世の住職・檀家とも玉眼が平安末期以降という事を知らず、当時一般的な玉眼にする。その際に面矧ぎ、あるいは面部を耳後ろでL字に三道近くまで切除して、近世の面部を補作。または三道下で頸部の直径分を凹に彫り込み(躰部は一木造)、前後矧ぎの頭部を差し込む。
こちらも調査でたまに面喰う構造である。

「この不動明王像なんですが・・・」と時期判断に迷う像。解説では江戸時代。少し変わった巻毛。クリクリとした巻毛もみえ、17世紀末から18世紀初頭の湛海作不動明王像に近く、その頃の制作であろう。

その後も特別に拝見させてもらった御像もあり歓待を受け、あまつさえ下総神崎まで送っていただく。深謝しきり。

下総と書いて「しもうさ」と読む。既に田には水が入り、田植えが済んだところも。
無事、帰阪の途に。

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同一人?

2022-4-25

I先生より『館林市史特別編第7巻『館林の文化と芸術』』抜粋を恵贈。深謝。

遍照寺不動三尊像(寛文10年・1670)に「山城国京大仏師信濃左京康知弟子佐々木五兵衛行貞」の銘。
佐々木五兵衛は、寛文6年の東寺講堂五大明王像修理に「少仏師五兵衛佐々木行次」(康乗修理銘札)にもみえ、龍谷ミュージアムにも佐々木□□□の雛型が展示。
雛型は□□□は「五兵衛」と思われるが、抜粋の図版をみても「貞」で間違いない。行貞と行次は兄弟、親子、はたまた同一人なのか、ちょっと困惑。

某所で見つかった「小西宗慶」も同じ問題。
宮内法橋は小西あるいは坂上姓を名乗ったが、「法橋宗慶」(初代宮内法橋)が「小西宗慶」と名乗ったかどうか。近接した制作時期なので同一人と思うが、根拠がない・・・。

ちょっと難しい問題である。ともかく後者はK氏に教示願わないといけない。

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黒田清輝のマウリッツ・ハイス①

2022-4-27

模写・模本を調べていたら、たまたま黒田清輝の模本に遭遇。

レンブラント〈テュルプ博士の解剖学講義〉(1632年)の模写。褐色がやや強いながら画面左下に「千八百八十八年九月」「黒田清輝□」のサイン。サイズはもちろん小さめ。

明治21年(1888)9月といえば、1月に法律を諦め油彩画に専念したばかり。さっそくマウリッツ・ハイス美術館に行って模写していたんだと驚く。
これまでラファエル・コランのもとで学んでいたとばかり思っていたが、北方のアカデミックな写実を重んじた画家の模写もしていたとは。

デン・ハーグ マウリッツ・ハイス美術館で、初めてレンブラント〈テュルプ博士の解剖学講義〉を見たのは、もう30年ほど前の2月。外が雪のなか、その時の感動は未だ記憶に生々しく残っている。

ともかく、レンブラントの作品を黒田が模写していたことに驚き。

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黒田清輝のマウリッツ・ハイス②

2022-4-28

調子に乗って調べていくと、もうひとつ黒田がマウリッツ・ハイスでレンブラント〈羽根帽子をかぶった自画像〉(1635~40年)を翌明治22年に模写した作品がある。
現在では〈羽飾りのある帽子をかぶる男のトローニー」というらしい。もちろん黒田はまだ滞仏中である。

東京藝術大学では、美校当時から今日に至るまで模写模造模本が重要(卒論扱い)とは聞いていたが、東洋画や彫刻だけでなく西洋画も主に先生が模写を重視していたことに驚く。

和田英作のミレー〈落穂拾い〉やフラ・アンジェリコ〈受胎告知〉、岡田三郎助のレンブラント〈自画像〉、原撫松の〈使徒パウロ〉、変わったところで寺崎武男のハンス・メムリンク〈肖像〉など実見したい作品がたくさん。

ちょっと開眼。どこかで西洋絵画の模写模本展を開催してくれないかぁと思ったり。

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恐るべし、奈良

2022-4-29


画像は学芸員 竹下繭子氏の非公式twitterより
雨天ながら午前中、なら歴史文化村「企画展「観音のいます地 三輪と初瀬」を見学。

ほぼすべての作品は実見済ながら、奈良の仏像は奥深いというかハイレベル過ぎる。
例えば、長谷寺蔵十一面観音像(12世紀:左端)は未指定文化財である。県指定でも全く遜色ない仏像ながら何ら指定されていない。

改めて、未指定文化財が山積している状況を何とかしないといけないとの思いを強くする。
朱若麟氏の聖林寺十一面観音菩薩立像(模刻)は撮影可能。十一面観音像を背にして家族で記念撮影。微笑ましい光景。

会場内にはラフなシャツを着て仏像調査をするおバカ研究者の写真パネルも掲げられ、赤面しきり。
“恐るべし、奈良”の事情については、図録に一文を寄せたのでご参考までに。

午後から荒天。

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ツツジの咲く頃

2021-4-30

好天、大学へ。
毎年のことながらGWの大学はツツジが美しく咲きほころぶ。

いつものことながら、この時期は授業がようやく順調に進みながらも、様々な学内案件が到来。

今年度は基本的に対面授業(一部はオンデマンド)。オンラインだと授業内容以外にも配慮せねばならないことが多く、ちょっとたいへん。

月曜日(5/2)の授業準備〔今年は月曜日がGWの恩恵がない〕しながら、年々忙しくなるばかりである。
いつも通り、定刻に帰宅の途につく。

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