日々雑記


七條左京康敬

2022-5-1

事情あって、康敬について考える。

大仏師系図(美術研究本)によれば、34代康敬は康朝の長男。康朝の後継は、なぜか三男康勝、次男康布、長男康敬と続く。
嘉永3年(1850)4月に72歳で逝去、生年は安永8年(1779)(数え歳)となる。

いっぽう『地下家伝』第8では、天明4年(1784)2月28日 出生、文政元年(1818)12月19日 叙法橋(35歳)とみえる。『地下家伝』「大仏師職」最後の記述は嘉永6年7月の康教の法橋叙位。康敬は既に亡くなっているのに卒年がない。

資料は『鹿児島県史料』旧記雑録拾遺地誌備考3「華尾山御宮其外取調帳」(文久3年10月)に「一 従定朝法印十五代康湛法印作 勢至菩薩 壹躰 御厨子入」「坐像御長九部」「弘化四年未六月 坐像御長九部/法橋七條左京/康敬極有」と記載。9部(9分)は約2.7㎝。

当該作品とみられるものは既にヤフオクで落札。厨子内には合掌する坐像、厨子背面に「康湛法印作 大仏師三十四世 法橋左京 康敬(花押)」の金泥銘。
「法橋七條左京」ではなく「法橋左京」なので、偽銘かもしれない。

山形・金勝寺釈迦如来像台座(文政元年)には「大仏師 法橋七條左京 正流三十三世作」とあり、経歴未詳の康布(『地下家伝』に記載なし)を除くと、康敬は33世にあたる。

僧綱位といい、所在地の記載といい、ちょっと慎重に扱わないと。

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ロンギヌスの槍

2022-5-2

月曜日は西洋美術の時間。

イエス・キリストは磔刑にされ、死を確めるためにローマ兵ロンギヌスがわき腹を刺したとされる。
聖書には、刺した槍は左脇腹か右脇腹かは示されていないが、多くの絵画が向かって左側の脇腹(右脇腹)に傷跡が描かれる。 死の確認ならば、左胸を一撃なのにと不審がりながら授業進行。

終了後、改めてググると、日本心臓財団”はあと文庫”に川田慶應義塾大学名誉教授の興味深いエッセイが掲載されている。
曰く、(1)掌に釘を打つと、手が裂けてずり落ちることから手首の骨の間に釘を打つ必要がある。そのため両腕に自重がかかり肩の脱臼、胸の強度な圧迫により横隔膜が極度に障害を受け呼吸困難となり死に至る。
(2)当時、急所と信じられていた肝臓を槍で刺して生死を確かめた傷である。
と明快な回答。

まれに左脇腹に傷のある磔刑図もある。
(画像はドイツ・アルテピナコテーク蔵ルーベンス「磔刑図」)

肝臓は大きいので、左右問わず脇腹なら構わないのかと妙に納得。

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撮影禁止なんですが・・

2022-5-4

朝から大学。
帰省中の下娘は中学時代の同級生たちと奈良へ遊びに。同級生のひとり(2017-3-27 齢を感じる調査)は現在、某歴史資料館の学芸員。

学芸員某氏が車を運転しながら、ちょっと寄りたいところがあるという。了解ということで同級生一行は奈良市を南下し、どこか(なら歴史芸術文化村)に向かったそうな。

展示室の解説パネルを見ていると、学芸員某氏と下娘が「???」。
「(あんたの)お父さんじゃね?」「父たん、ぽい・・・」とパチリ。すぐさま「場内、撮影禁止です」と止められたそうだが(スミマセン、躾不行届きで)、こちらに画像を送ってきた。
「これ、父たん?」「ハイ、仕事しています。会場は撮影禁止ですが。」「怒られた。」

確かに”これから調査”と出掛ける姿は何度も見ていたはずだが、親がどんなことをしているのか、子供は知らない。
ちょっとは理解したのかと思っていると、「なんか大学の先生みたい~」と。
そうやろ。
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西洋版 神仏習合と廃仏毀釈

2022-5-6

授業再開。学生の発表。
ボッティチェッリ〈プリマヴェーラ(春)〉や〈ヴィーナスの誕生〉など。

ボッティチェッリ→最大のパトロン・メヂィチ家→プラトン・アカデミー→新プラトン主義(ネオプラトニズム)と説明。
要するにルネサンス(「古典復興」)といいながらギリシア・ローマ文化とキリスト教を融合した作品ではないでしょうか。
つまり日本でいうところの「神仏習合」ですね。だから、サヴォナローラが神権政治を行い1497年に虚栄の焼却を行って、融合した作品を焼却したのではないか。これは「廃仏毀釈」に当たると思います。
ボッティチェッリはサヴォナローラの考えに心酔し、晩年は発表にあったように中世に戻ったかのような作品(神秘の降誕)を制作するのです。
と解説。こちらも脳内混乱しているが、おおむね正しいはず。

私立大学では、どんな変化球(テーマ)であっても対処しないといけないのが常。
私(教員)の専門は・・・、私(学生)の関心は・・・に拘っていると、にっちもさっちもいかない。

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大槌町のクラファン

2022-5-9

岩手・大槌町で東日本大震災の津波で被災した仏像の修復に関するクラウドファンディング。

昨年5月末に知人から連絡があり、一文を書いてくれないかとの依頼があり、快諾。
不動三尊像の修復が竣工、過日には開眼供養があったとの連絡。
安堵、安堵。

近世の不動三尊像とは言え、ちゃんとした修復(施工:京都科学)をすれば、威厳も甦り、往時の大槌町の人と江戸の人たちの交流も理解できる。
地域の仏像は単に仏像だけではなく、古文書と同様に往時の歴史解明に大きく寄与できる歴史資料でもある。

昔も今も、人は、”ゼニカネ”だけで動く存在ではない。
”心の紐帯”(きずな)が大切であることをよく示した不動三尊像である。

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日本の・・・

2022-5-12

授業でフェノロサが「古代日本人ノ美術思想ノ純粋ハ全ク希臘(ギリシア)美術ノ純粋ト同一轍ナリシコト」(『奈良ノ諸君二告グ』)について話していた時、ふとギリシャ彫刻と日本の仏像を比較評価する点は、現在でも一般には通じる比較だなと思った。
(授業はそのまま継続)

日本のミケランジェロ・・・石川雲蝶
日本の(レオナルド)ダ・ヴィンチ・・・平賀源内、俵屋宗達、本阿弥光悦、横山松三郎、村山知義など
日本のゴッホ・・・棟方志功、山下清、長谷川利行
日本のゴーギャン・・・田中一村
日本のピカソ・・・岡本太郎、猪熊弦一郎
日本の(サルバドール)ダリ・・・古沢岩美

だから、荻原守衛が「予が見たる東西の彫刻」で、
「近頃日本でも、余程従来の西洋崇拝を脱して来たやうでもあるが、猶ほ未だ西洋崇拝熱に全然離れず、寧ろ之れに心酔して、日本の固有の美術に眞美の存ずることを知らぬ人々が澤山ある。(中略)無暗に美人とさへ言へば西洋婦人を取つて来て、ヴィナスを拵へ損つたやうなものを作成するのは笑止の次第である」
との懺悔にも似た嘆きも通じるのかと思ったりした。

本人の言葉で言質が取れるのは棟方志功ぐらい。全員故人なので文句は出ないが、荻原守衛や朝倉文夫に「日本のロダン!」と言ってみたら、本気で殴られそうな気がする。
21世紀の現代ながら明治からの因習をそのまま引きずっている感じがしないでもない。

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印象に残る仏像

2022-5-13

先週の初年次授業で、「印象に残る仏像」を記しなさいというミニッツペーパーを提出させたところ、ちょっと意外な仏像が多かったのでご紹介。

そこか~い?編
東大寺不空羂索観音像の宝冠と正面化仏、平等院鳳凰堂雲中供養菩薩南21号像、新薬師寺伐折羅大将像(の彩色復元像)
やっぱり編
京都・宝寿寺千手観音像(千手)、滋賀・向源寺十一面観音像(暴悪大笑面)、京都・穴太寺涅槃像(布団有)
マニアック編
熊本・中山観音堂聖観音立像(平安時代)、京都・泉涌寺伝楊貴妃観音(中国・南宋時代)、萬福寺韋駄天立像(清時代)、兵庫・清源寺釈迦三尊・十六羅漢像(木喰作)
他にも奈良・中宮寺菩薩半跏思惟像や興福寺国宝館千手観音立像など。

もちろん東大寺廬舎那大仏や高徳院大仏、阿修羅像、天燈鬼・龍燈鬼像もあるが、授業としては断然、上の仏像が面白い。

提出させたミニッツペーパーながら、ちょっと戸惑う。

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黒子でいいのに

2022-5-15

沖縄本土復帰50年。
50年前の今日、沖縄は米軍統治下から日本復帰を果たした。タイムリーにも今日の日曜美術館で東博「琉球」展を絡めた「失われたときを求めて-沖縄本土復帰50年-」が放送。

数日前、20数年来の友人である沖縄県博 園原氏から電話。「あ、ハセさん。園原です。」
「日曜美術館に“仁王さん”が出るんだけど、ハセさんの”会議写真”出していい?」
「いいけど・・・なぜ?」
「今、NHKで編集やってんだけど、デモテープ確認したらハセさん写ってないんだ。」「いいんじゃないですか。主役は制作者のおふたりなんで。私はあくまで“黒子”。」
「いやいや、そういう訳にはいかない。制作者のOさんを紹介したのも、石川・法住寺仁王像を探してきたのもあなた。ハセさんなしでは、学術的根拠がないままに復元しましたってことになるじゃないか。さっき、そのようにNHKに文句言った!(ちょっと怒)」
「黒子でいいですよ。」「じゃ、写真、出すからね」。

今朝、日曜美術館を見ていたら園原氏のコメントの後、こちらが写った会議写真と石川・法住寺仁王像の写真が不自然に短く挿入されていた。
メインコメンテーター(押しの強い)園原氏の要求なので断り切れなかった模様。

”黒子”でいいのにと思いながら、大学へ。午後より久しぶりのPTA(教育懇談会)。

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無住寺

2022-5-17

過日、授業直前に電話。某自治体の議員さん。
某所の無住寺にこういう仏像があると連絡したのですが、返事がないので・・・と。
メールを確認しても当該のメールはない。改めてメルアドを伝え、授業を終えて確認すると、案件のメールが到来。

本尊は12世紀か17世紀かと、写真では判断が難しいものの、取り急ぎ”寺院台帳作成(のための調査)”をアドバイス。

最近の京都・立本寺の事例を持ち出すまでもなく、基本情報(法量・各写真)があれば、万一の際にも対応できる。ところが多くの地方自治体はこの基本情報が不備である。
立本寺・月天子像についても、マスコミは「文化財の指定は受けていない」と報道するが、指定の有無を問わず立派な文化財であるから話題になる。
そもそも窃盗犯は指定・未指定問わずに盗む。窃盗犯は盗品を換金できれば成功である。

現在、関係者が「寺院台帳作成(のための調査)」について協議中の模様。100%難しくない話なのだが・・。
協議よりも調査日程を決める方が優先順位は高いと思うのだが、そこは議員さん、票にならないこと(文化財)には実に消極的。

こちらの優先順位も自ずと後退。こちらも忙しいですから・・・。

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不釣り合いなカップル

2022-5-19

明日、学生の発表があるので対応準備。

ヨーロッパのペスト流行に伴い、ハンス・ホルバイン(ホルバインもペストで死去)木版画《死の舞踏》に始まり「死と乙女」へと派生するという流れ。
後半は主にハンス・バルドゥング(グリーン)の作品、《死と乙女》《死と女》《少女を追いかける死》が登場の予定。

ハンス・バルドゥングはデューラーの弟子で、ルーカス・クラナッハ(父)と同様に、宗教改革のマルティン・ルターの支持者でもある。画像を準備しながら、クラナッハ《不釣り合いなカップル》(1530年)を思い浮かべる。

「お嬢ちゃん、ネックレスあげるから・・・」「ありがと。お髭、もじゃもじゃ~♪」

「緊張と緩和の落差が笑いを生み出す」というは桂枝雀の言葉だが、絵画(西洋)もまた美と醜(死も含まれるのか?)との落差が激しいほど、この時期の北方ヨーロッパ絵画の評価は高かったのだろうか。

ちよっと理解しづらいので、後は学生に質問してみることにする。

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吉野神宮

2022-5-20

吉野神宮が国重要文化財指定の報。
昭和7年(1932)に内務省神社局技師角南隆が設計。

幾度も参拝したが、幣殿右手に掲げられた「登録有形文化財」(2010年)のプレートを見ながら、そういう評価なのか?といぶかっていた。
昨年3月に県指定文化財に指定、そして今年は重要文化財指定。

“恐るべし、奈良”を実感する事例。
同じ対象案件なのに、長く「登録」のままで、県「指定」になれば翌年には重要文化財。
美術工芸に関しても「市町村指定」など様々な制度を活用しないと、重要文化財候補となるべき作品が埋もれたまま放置されるのではないかと思ったり。

ともかく、慶事なり。

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反グレ カラヴァッジオ(1)

2022-5-23

テネブリズム(光と闇の強烈なコントラスト)で有名なカラヴァッジオ。

1592年(21歳)に「喧嘩」で役人を負傷(殺害とも)させ、ミラノからローマへ逃亡。
ローマでは、1600年(30歳)にはパトロンのフランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿の客ジロラモ・スタンパをクラブで殴打傷害。翌年には画家サリーニを襲撃及び武器の不法所持、1603年(33歳)、ジョヴァンニバリオーネをオラツィオ・ジェンティレスキと共犯で名誉棄損、翌年は居酒屋給仕で熱い(アーティチョーク)皿を投げつけ暴行。この年は警官に対して投石と暴行。1605年(35歳)武器不法所持、家賃滞納による大家の邸宅を襲撃破壊、公証人マリアーノパスクアーロンディアックーモリに重傷を負わせ、ジェノバに逃亡。
翌年ローマにもどると、ギャングのラヌッチョ・トマソニ(高級娼婦でモデルのフィリデ・メランドロニのヒモ)を殺害。流石に斬首刑と公開懸賞金付で指名手配を受け、ナポリに逃亡。

ちょっと、名声に比しての反グレ カラヴァッジオ。
いい作品を描いたが、逆に面が割れてしまったのか・・・。

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反グレ カラヴァッジオ(2)

2022-5-24

ナポリのコロンナ家の邸宅へ逃亡後、コロンナ家の息子であるファブリツィオ・スフォルツァ・コロンナがマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)の司令官であったため、マルタ騎士団と共にマルタ島に移るも、1608年(38歳)には騎士団員と乱闘、投獄されるも脱走。 カラヴァッジオの舎弟マリオ・ミンニーティがいるシチリア島へ逃げる。
これで、ローマのギャングからもマルタ騎士団からも追われることに。

シチリア島内を転々とした後、1909年にはナポリへ戻る。そこで待ってましたとばかりマルタ騎士団員に襲われ瀕死の大重傷を負う。パトロンであったスピキオーネ・ボルゲーゼ枢機卿に特赦を願い、《ゴリアテの頭を持つダビデ》を贈る(ゴリアテの頭部はカラヴァッジオ自身)。
特赦が出そうなので、海路ローマへ向かうが、ローマを飛び越え北のラディスポリ、更に北のポルト・エルコレで死去。38歳。

壮絶な逃亡劇&絵画制作のカラヴァッジオ。英語版Wikipediaには逃亡経路まで示されている。

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なぜか光琳

2022-5-26

過日、とある講座の打ち合わせ。

京都市内でオリジナル(超高精細コピーではない)の障壁画を拝見できる寺院として、智積院と養源院を掲げる。前者は等伯、後者は俵屋宗達。

打ち合わせのなかで「尾形光琳は?」との質問。
「光琳の作品は最高ですが、人間としてはクズです」と。
若い頃から遊蕩三昧、知られるだけでも正妻以外に6人の愛人とその間に出来た子供が7人。57歳になっても愛人「あや」との間に「才次郎」が生まれる(ちなみに長男「勝之丞」も光琳の子)。前年には乾山名義で銀10貫(約4000万円)を借りる始末。あれほど乾山から怒られていたのに。
「では、その話も・・・」とのこと。

作家と作品。作品を通して人間を知ることも大切である。

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還暦研究会

2022-5-27

昨夜は、神戸で同級生(史学科)数名と久闊を叙しながら一献。痛飲。

話題が“還暦同窓会”に及び、「場所は・・・」と思っているところ、関大飛鳥文化研究所が挙がる。確認すると利用範囲は「研究会、研修会、会議等を行う校友」とある。
「じゃ、研究会で。」
まったく問題ないメンバー。研究業績でも各種講演会歴でも遜色ない。
秋頃とのことで、メンバー限定の”還暦研究会”開催。

帰途、19、20歳の頃に、このメンバーで学内研究会を開いていたことを思い出した。

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調査

2022-5-28~29

茨城・某所へ仏像調査。
今回は調査のために応急修理が必要とのことで、修復研究者と同行。

御像は、頭部前面材から胸部着衣端まで1材。耳後ろで頭部後面材を寄せる技法。
よくみると、裙裾部と両脚部にも僅かな隙間。浄土真宗ではないが、これと同じ構造(2017-11-11~12)
大きな納入品でも奉籠したのだろうか。もちろん像内は何もない。

幾つかの仏像を調査している間に応急修理。
当地は地震が頻発、経年劣化もあり、台座の構成部材のほぼすべてが膠切れを起こし不安定な台座(畳座)に安坐する。
台座の修理完了直前にも震度3の揺れ。
ちょっとヒヤリ。

久々に康祐作品の調査。像底には「日域惣本家大仏師/左京法眼康祐/延宝八年庚申十二月三日」の朱書銘。

康祐は同年(1680)2月4日に法眼を叙位し、ここから破竹?の造像活動を展開、北関東地方にも幾多の事績を残す。天和3年(1683)には日光・三仏堂本尊の修理も。

修理完了し、厨子内に台座と御像を納めて終了。
有意義な週末であったことをを噛みしめながら、帰阪の途につく。

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通じない言葉

2022-5-31

学生とは40年以上の年齢差がある。授業でも通じない言葉がだんだん増えてくる。

藤田嗣治(作品)の乳白色は顔料などに天花粉を混ぜ・・・」。
「天花粉?」「うん、シッカロールのこと。」(我ながら努力)
「『シッカロール』って?」「ほら、風呂上がりの赤ちゃんのお尻にポンポンする粉。」
「『ベビーパウダー』ですね。」「そうそう・・・」
育児未経験の学生だから仕方ないか・・・。

「光琳は光悦作鹿図硯箱・信楽水指を質草に金7両を借り・・・」
「質草ってどんな草ですか?」(マジか?)
「自分の持物を質草(担保)にして質屋(ひちや)に持っていくと、お金が借りられる」
「いまの“買取店”ですね。」
「“買取店”とは違い、貸してもらった額を質屋へ渡すと、預けたモノが返却される。期限までにお金が返せなかったら、モノは戻ってこない。」
「でも、要らないモノだから質屋に持っていくんでしょ。」
「いや、要らないモノではなくて・・・。」

全員がそうではないと思いつつ、いくら平成2桁生まれとはいえ、関大生なら先輩である いしいひさいち氏の「バイトくん」ぐらい読めよと思ったりする。
質屋が登場するかどうかは知らんけど。

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