日々雑記


誤字はOKです

2022-12-1

学生に発表原稿をつくらせると、面白いことがわかる。

「横山大観を新たな頭首として新日本画の制作」、「横山大観が除名されたことに憤激した新派」と、普段そんな用語は使わないのにこうした用語が頻出すると、あぁ、何かの書物を引き写しだとすぐ分かる。

いっぽう「日本美術院にも松田大臣からの移行が伝えられ、大観も協力を要請された。」「『大観』という画号はこの頃、ある禅師で友人と僧侶と酒を飲んでいた時に」などの「意向」「禅寺」の誤字はあまり気にしない。
なぜなら、自分で考えて文章を打っているからである。

引き写しの文章は立派ながら、発表者当人は発表内容を理解していない。立派な文章よりも自身の頭で考える文章がもちろん好感が持て、助言してもよく理解してくれる。
自ずと評価も異なる。

誤字はOK。

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岡本桃里

2022-12-5

授業で百鬼夜行絵巻を扱うので、在外作例として大英博物館のコレクションを見ていた。
「handscroll」で検索すると多数の絵巻が現れ、見ているだけでも楽しい。

大英博物館にも英一蝶の『百鬼夜行』や『百鬼異形之図』(外題)があったが、ちょっと気になる絵巻も。

岡本桃里『山陵絵図』。陵墓名の鉛筆書きはウィリアム・ゴーランド。制作は慶応3年(1867)(5月)とある。宮内庁公文書館にも「山陵絵図 岡本桃里 慶応元年11月」がある。
同一の絵巻だと、大英博物館のほうが先行作品なのか。

それにしても大和八木出身の岡本桃里は陵墓に関する作品をいくつも描いている。
考古学研究者にとっては自明の事かも知れないが、ちょっと驚き。

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ジュリー・マネ

2022-12-6

14日に卒論ゼミ分けを行うので、このところ事前相談が多い。

今日は印象派についての相談。
当り前のことを扱っても面白くないので、ベルト・モリゾの娘ジュリー・マネを扱えばとアドバイス。

よく知られるように、エドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネとベルト・モリゾとの間に出来た一人娘。
相次いで父母を失い16歳で孤児となり、マラルメが後見人となり、ルノワールらも彼女をモデルに作品を多く描いている。後に彼女自身も画家になる。
幸いにも『印象派の人びと ジュリー・マネの日記』も図書館に架蔵。

ルノアール《猫を抱くジュリー・マネ》の猫のような表情で退出。なによりである。

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栖鳳は“斑猫”で打ち止め

2022-12-8

学生にとっては、近代著名日本画家というと全ての作品が秀逸な作品だと思っている節があるみたいで、感覚がずれる作品がかなりある。
思い余って「どうしてその作品を選んだのか?」と問うても明快な答えはない。

画家にも旬というものがある。

前回も、横山大観の秀逸作品は1945年の敗戦をもって終わると暴言を吐いたばかり。

今日は、竹内栖鳳の昭和10年の作品。
同年には松田文相による文展改組、12年には文化勲章を受賞している。そんな頃の作品に見るべきものなどある筈もない。
「栖鳳は“斑猫”で打ち止めです。」とまたもや暴言。

「画業に老いあり」(2014-9-14)でもあったように、片岡球子(101歳)が自身の完成作品をみて「まずい・・・、みんなまずい・・・。まずそうな、果物・・・。」という作品が秀逸な作品なわけないだろう。

もっと真剣に作品をみよう。

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日本美術及工芸統制協会

2022-12-9

戦時下の美術家の統制団体は、昭和18年(1943)5月発足の日本美術報国会(美報)と日本美術及工芸統制協会(美統)。美報会長は横山大観、美統理事長は児玉希望。
美統は、絵の具などの作品制作のための資材配給を決定する機関である。

洋画家古茂田守介の妻で洋画家の美津子によると、美統油絵部では10号の絵を提出させABCの等級別に査定、それに応じてカンヴァスや絵具を配給するシステムであった。
古茂田守介も作品を持ってきたが無名なのでCクラス。美津子は「古茂田守介様 あなたはCです」と審査結果を通知する手紙に「私だったらAにします」と書き添えてプロポーズしたという。
(古茂田美津子「守介との長くて短い16年間」『芸術新潮』1995年3月)。

昭和19年1月27日付『朝日新聞』によれば、美統被査定会員は約1万3千名、無鑑査会員は1020名。当時の美術家ほぼ全員といっていいほど。

絵の具や画材を押さえられると、作品制作どころではない。
戦後の藤田嗣治の憤りもむべなるかな。

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関西の熱量

2022-12-12

東京・サントリー美術館「京都・智積院の名宝」展(~1/22)が好評との由。

東京国立博物館も来年は「大安寺」展。東博はここ数年、必ずと言ってよいほど奈良・京都の古寺をメインにした特別展が開催されている。

経験上、奈良・京都の古寺を拝観する関西人の多くは「堂内、暗い」とか「よーわからん」「(拝観料)高いなぁ~、どうする?」などと、実にネガティブ。
身近にいる学生にしても「招待券を貰ったので、正倉院展を初めて見ました」と。学生証を提示すれば数百円で見ることが出来るのに・・・。

殊に大阪は「文化」というと「コナモン文化」「食文化」が真っ先に来る文化不毛の地。 なんか複雑というか、豚に真珠というか・・・。

マスコミもB級グルメや穴場グルメの紹介に終始するだけではなく、一度、「関西文化の日」を知っていますか等のアンケートを取ったらよろしい。愕然とする回答が返ってくると思うのだが。
そうした文化的環境のもとに、文化庁が京都にやってくるという不思議。

京洛の社寺や奈良の古寺は、こぞって東京へ売り込みを図るべし。

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大正新脩大蔵経テキストデータベース

2022-12-13

とある経典のごく小さな断簡。
調べるうちに、先人の努力はすごいと実感。

瓦に経文を刻んだ瓦経があるとする。(現在の仕事は瓦経ではない)
先人は『大正新脩大蔵経』85巻の正蔵・続蔵の漢訳仏典から3~4字を探し出して、論文にされる。
経文の文字数からみれば、公園の砂場からケシ粒3つを探すに等しい。
でも、今や大蔵経テキストデータベース研究会の『大正新脩大蔵経』テキストデータベースによってほぼすぐさま経典名が判明。
上の瓦経も「妙法蓮華経巻第四」の
是事難信所以者何女身垢穢非是法器云
何能得無上菩提佛道懸曠經無量劫勤苦
積行具修諸度然後乃成又女人身猶有五
障一者不得作梵天王二者帝釋三者魔王
四者轉輪聖王五者佛身云何女身速得成
佛爾時龍女有一寶珠價直三千大千世界
とわかる。

大蔵経テキストデータベース研究会の学恩にあつく深謝。

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”夢”の絵画

2022-12-14

午後、次年度4回生の卒論ゼミ分け。

次年度はちょっとたいへん。
8名の学生のうち西洋絵画が4人。時期も中世から印象派まで幅広い。

日本美術で”夢”を扱う学生がいる。
「吹き出し」の用語から最初はセリフが入ると思っていたが、「吹き出し」のなかに夢の内容を描く作品である。

西洋絵画では、「ヤコブの夢」のように寝ているヤコブ(人物)の上に夢の内容が直接描かれるが、「吹き出し」内に描くのは確かに浮世絵だけであるように思う。

喜多川歌麿や北斎、国芳などにも同様の作品が認められ、面白いテーマだと思う。
皆々、頑張れ。

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あべのハルカス美術館

2022-12-15

うちの学生にとって展覧会は非常に重要。
展覧会で作品を見て、作家や他の作品に関心を抱き、卒論テーマへと繋げていく、いわば「命綱」である。
単なる思いつきで決めて(指導をしても)厳しい状況が立ちふさがるだけである。

何処の美術館に行ったのかと聞くと、かなりの割合で「あべのハルカス美術館」の名が挙がる。
とある学生は「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」からレッサー・ユリィ《夜のポツダム広場》。残念ながら参考文献がドイツ語のみという状況で泣く泣く断念せざるを得なかったが、別の学生は「コレクター福富太郎の眼」から鏑木清方《妖魚》(6曲1隻)、《刺青の女》。こちらは大丈夫。

卒論の基礎は美術館。

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メンテナンス

2022-12-16

ふと、仏像のメンテナンス(修理)は誰が行うのだろうかと考える。

韮山・顔成就院不動三尊像(運慶作)が宝暦3年(1753)に鎌倉仏師の後藤左近義貴によって修復されたように、多くは地元仏師である。
しかし日光山のように江戸仏師が携わる場合もある。日光山は幕府御用の七條仏師が仏像を制作するもメンテナンスは基本的には江戸仏師。だから七條仏師康祐一門が修理に携わろうとした時に江戸仏師に見積の不正を暴かれ、12か国追放となった。

ただ、系図と称する業績書が仏師側にあった場合、仏師の末裔が制作が少なくなった折に業績書を手掛かりに、「その後、いかがですか」と営業活動することも考えられなくはない。寡黙ながら某寺の仏像を制作した仏師の子息が時期を隔てて同じ寺の別の仏像を制作、あるいは修復した事例もある。

あまり大きな問題ではないが、仏像のメンテナンスは誰がするのだろうか。

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たけ三尺を限可申候

2022-12-19

享保9年(1724)9月に「町々仏師、鋳物師方々ニて、向後三尺以上之仏像を造り候ハゝ、其段月番之番所え訴出、差図を請、造り可申候」との御触。
寛政11年(1799)7月の御触では、「たけ三尺を限可申候」「但、三尺以下仏像たり共、十体造立致し候は、奉行所え訴出、差図を請可申候」と強化されるが、近世政治史の先生からのご教示により、共に江戸市中限定の御触であると。

いっぽう、合羽大仏の見世物で、天保13年(1842)2月27日付の制禁に
近来神仏開帳の節、境内或は盛場等え、大造の見世物等差出候間、自ら群集いたし、喧嘩口論不絶有之、既に寛政十一年未年触流し候趣も有之候間、造物奉納いたし、大造の見せ物等差出候儀は、神仏崇敬の意に違ひ、不埒の事に候、以来開帳之節、無謂新規に大造の造り物或は見世物等いたし候義、決て可致二無用候。右の通、文政十亥年五月触置候処、猶又近来大造に造り物いたし候趣相聞候、此節追々開帳有レ之候処、今般厚御趣意被仰出候に付、若心得違の者於之は、吟味の上、当人は勿論、町役人共迄急度咎可申付候、名主支配限り早々申通じ、町々の者え厚く可申聞、右の通、町中不洩様可相触
とあって、「大造の見せ物」(合羽大仏)は、寛政11年、文政10年に引き続いて天保13年にも禁止されている。 「神仏崇敬の意に」沿う大仏も「たけ三尺を限可申候」としたのは、なぜなのだろうか。

またお願いしてご教示を得ないといけない。

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吉野右京

2022-12-21

とある待合室。
多くの所では、マンガや一般雑誌、スポーツ紙、当日の朝刊等が置かれているが、ここには小説(文庫本)も置かれていた。 小説を読了するほど待たされるのだろうか、いや誰かの忘れ物がそのまま置かれているのだろう。

待っている間、葉室麟『乾山晩愁』を読んだこともあって『天の光』を手にとる。
仏師清三郎が主人公。博多出身との設定・・・。佐田仏師なんだろうか。

数頁もしないうちに「吉野右京」の名前と幾つかの禅宗僧侶彫刻作品が紹介。
慌てて巻末の初出をみると、2014年6月。葉室麟は2017年12月に没している。

きっと2014年の特別展「栄西と建仁寺」(東京国立博物館)の六道珍皇寺小野篁像(院達作)を見たのだろう。決して近世仏師事績DBを見たわけはないと信じたい・・・。

ドキドキしていると、また血圧が上がるのに。

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岐阜大仏

2022-12-23

朝から庁舎10階で会議。

隅部屋で大きな窓が2方向にある。暖かな日差しも入る部屋で白熱した検討会。

改めて詳細な目次が配られ、手元の未定稿と比べると他の先生と重なる内容があることに気づく。終了後に当該の先生と事務局とにその点を話すと、事務局側で削除や修正を申し出るので気にしないで執筆して下さいと。やや安堵。

議題は建造物(大仏殿)の修復にも及ぶ。大仏殿と大仏は不離一体の構造。こちらも長く関わりそうな塩梅。

岐阜駅に戻り、そこで美江寺十一面観音像(脱活乾漆造)の拝観を忘れたことに気づく。戻るのも大変なので次回にでも。

庁舎そばなのに、ちょっと残念。

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ベツレヘムの戸籍調査

2022-12-24

クリスマスイブ。終日、厳寒。

ピーテル・ブリューゲル(父)が1566年に描いた作品。

ヨセフと身重のマリアは、ローマ皇帝カール5世が命じた住民登録を行うためにベツレヘムに向かう。
しかしベツレヘムに多くの人びとが殺到したため、二人が泊まれる宿はなかった。不憫に思った宿屋の主人が家畜小屋(馬小屋)を寝床として提供し、マリアはそこで神の子イエスを出産、西の空にベツレヘムの星が流れる。

福音書にイエスの誕生日は記されていないが、《ベツレヘムの戸籍調査》はいかにもイブにふさわしい光景である。戸籍調査の建物(宿屋or居酒屋)には大きなリースが2つ掛けられている。

ピーテル・ブリューゲル(子)の模写(1638年)もあるが、父の作品は冬のネーデルラントをよく表現している。

また冬のオランダに行ってみたいものである。

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仕事納め

2022-12-26~28

研究者と共に某所で仏像調査。

地漆地の上に梨子地の金泥塗。
梨子地には黒い粒子がかなり混じる。漆線彫にみえた界線も低い線で、退化した盛上げ彩色のようにみえる。
漆線彫は貼り付けるので、線状に剥落するのでどうも漆線彫ではなく、盛上げ金泥による界線なのだろうか。

金鎖甲を纏う近世の仏像。
天衣に至るまで全身布張り彩色。研究者ともども顔を見合わす。こんな丁寧な彩色方法はこれまで見たことがない。過去に修理した記録をみせてもらうも「寛政二戌年」(1790年)に彩色したとの銘記。
寛政2年に全身布張り彩色はあり得ない。台座彩色なら考えられるが・・・。

ふと、布目が細かいことに気づく。
確か仏画で、絹地の布目の密度によって中国製か日本製を判断した論文があったことを思い出す。中国製なのだろうか。
別場所に同様の仏像。こちらは銘札もあって製作時期も作者も判明でき、ちょっと安堵。

色々と仏像を調査させて頂きながらも課題を抱えつつ、実質2日間の調査を終えて帰阪。

世間では「仕事納め」で、新大阪駅ははや帰省ピークで大混雑。
こちらも年内の調査はこれにて”仕事納め”。

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激動の1年

2022-12-30

ようやく2022年が過ぎる。

振り返ってみれば、これまで見えていたと思っていたことが実は見えていなかったり、知らなかったことを初めて知ることなど、公私ともども激動激変の1年でした。
来年はもう少し静かに日々を過ごしたいと考えております。

この1年、拙家頁をご覧いただき、本当に有難うございました。

取り急ぎ、年末の御礼まで。
皆様、どうぞよいお年をお過ごしくださいませ。

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