日々雑記


定型外の指導

2009-5-1

自ら手を下すのは容易いが、それを他人に伝えてこちらの意に沿うように導くのは難しい。

学生による資料の写真撮影。
性根が“親方系”ながらも「仕事を見て(盗見とって)覚えろ!」では、確実に失職してしまうので、普段通り作業をみながらあれこれとアドヴァイス。
困り果てても「まぁ、誰も最初は戸惑うから・・・」とあくまでソフトに。

同じパターンで慣れてきた頃に、定型外の資料が続出。アドヴァイスも頻発。「硯箱を斜めに置き、高い位置から俯瞰構図で撮影。蒔絵の模様は、蓋上から側面にわたって展開しているので、それがわかるように撮ってみぃ!」。それでも何か微妙に違っており、構図が落ち着かない。
再びアドヴァイス。ほど遠くなる指導、困惑する学生・・・。
時にはライトの位置や高さを変え、AのダイヤルをMにして、S(シャッタースピード)とF(絞り)を調整することも。むぅ・・・どうアドヴァイスすればよいのだろうか?
そのうち「ちょっと替わってくれる?」と、三脚をぐぃーと上げて・・・。
いかん、ついいつもの悪いクセが出たと反省しつつ左右に出た僅かな影を消すのに苦心。

展覧会図録を数多く見ると、同じ種類の資料なら、ほぼどれも同じ構図で撮影されており、「定形外」も、実は「定形」のひとつに過ぎないことに気付くのだが、「図録をよぅ、みてみぃ!」ではまったく指導にもならないのである。

「仕事場をそのまま美術学校に持ってきてください。あなたはそこでお仕事をされればよいのです。学生は、それをみて勉強すればよいのです。」と岡倉天心から教員就任を依頼された高村光雲が、うらやましく思える。

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江戸仏画

2009-5-2

午前中、江戸時代の仏画拝見。
某美術館館長からのご推薦によると聞く。江戸時代の僧侶による本格的な作品で、画僧の名を事前に聞いておりながら、なぜか出てこない。彩管に慣れ親しんだ僧侶についても近世絵師の辞典にも掲出されないとお手上げの状態。

江戸仏画も本格的な作品になると、一部の絵師の作品を除いて、あまり関心は高くない。江戸時代の仏教美術は、「異端」が主流と思われてはならないと、抗うもなかなか術は見つからない。案内記では「絵師」と「仏画師」が区別されているのだが・・・。
幸い、箱書等からいくつかのデータが得られたものの、近世仏画もまだまだ研究途上である。
もうひとふんばりというところか。

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Okonomiyaki

2009-5-3

ぐだぐだとした連休。
昨夜、実家(家人)から連絡があり、オーストラリアの知人を連れて、義弟が里帰りするとの由。留学した時のホームステイ先の家主さんとその折の同居人。京都名所などを紹介せいと思っていたら、いわゆる実家方の通訳(?)として・・・。上娘にも別途依頼があったらしい。

豪州・メルボルンのマーガレット(御歳79歳!)とスイス・ローザンヌのハンス(48歳)。
既にJAPAN RAIL PASS〔JR全線利用可(のぞみを除く)〕を使って東京、富士山、飛騨高山、京都、広島を訪問済。京都については「ジャパニーズテイスト」・「ビューティフル」・「ワンダフル」と大絶賛。

OsakaのOkonomiyakiはJapanese Pizza なのかJapanese pancakeなのかという、とんでもなく、くだらない内容も交えながら任務遂行。道路上の自販機にも興味を引いたようだが(確かに、外国では見かけない)、あとは義弟に委ねる。
アキバの「おでん缶」とか、いらんこと、言わんでよろし!

元気なマーガレット女史(おひとりで成田まで来た!)に感心しきり。

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背後に人影あり?

2009-5-6

大学に出ると、躑躅が満開。

授業資料(パワーポイント)を作成。当初は既にあるものを使う予定だったのだが、GW前に思わぬ“大逆風”があって、滞る仕事もありながら、ほとんど新規に作り直す。

たまたま、村野藤吾の学校建築をめぐる言説で、
「木を多く植えることですね。木が育って、陰になってくると、いくらかそこに潤いが出てきて、建物は少々悪くても救ってくれます。したがって、あまり高い建物はなるべく建てないようにできないものか。なるべくならば低い建物の方がいい」
(「対談学校建築シンポジウム・現代の学校建築の総合計画」『近代建築』1964.11)
と述べた箇所に遭遇し、ビックリ。今しがたまで、それを考えあぐねていたところ。
長尺バージョンのお初ネタながら、汚名挽回となるか・・・。

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老梅図襖

2009-5-8

京都国立博物館「妙心寺」展へかけこみ見学。
間に合った・・・。

瓢鮎図をはじめ数々の名品。関山慧玄坐像(吉野右京種次・明暦2年)と花園法皇坐像(康知・明暦4年)とを並べて展示。禅刹での近世彫刻の動向をみるようで、心にくい気配り。関山慧玄は頂相画がなかったので、老婆が持参した僧侶像の頭部を使ったとか・・・。製作中の種次の安堵の表情がみえるようである。
これも“ストック分”だったのかとも。

白眉はメトロポリタンの狩野山雪《老梅図襖》。
背後の海北友松《琴棋書画図屏風 》がかすんでみえるほど。圧倒されるばかりの迫力。
元天祥院の襖絵で、1960年頃に市場に流れでて元GHQ将校が150万円(5000ドル)で購入、襖裏面に描かれた山雪《群仙図》は剥がされて“バラ売り”されて、現在はミネアポリス美術研究所に所蔵。将校曰く「裏を売って表を残したから、結局タダだった」。
参考:『日録20世紀スペシャル16失われた国宝』講談社

常設展が閉館なので、豊臣棄丸坐像や蔡山筆《十六羅漢図》や多数の頂相画等もじっくり拝見した後、大学へ。

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合同合宿

2009-5-9

高岳館にて哲学倫理学専修・比較宗教学専修・芸術学美術史専修合同合宿。総勢87名。
合同合宿スケジュール モデルプラン。〔〕は明日香村植田記念館。[■]は教員配置。

第1日
13:00先遣隊[■](お菓子/特殊飲料?(カルピスとか梅ジュースとか・・・購入)、出発。
14:30JR摂津富田駅集合、臨時バス出発。〔14:30近鉄橿原神宮前駅集合、臨時バス同〕[■]
※高岳館:高槻市営バス明日香村:奈良交通
15:00出欠確認。施設利用上の注意と部屋割り(総合司会[■])
15:15大教室にて教員自己紹介(1人3~5分×13名、全体で45~60分程度)
16:15公欠届の配布後、休憩
16:30哲学会(会報・『哲学』配布、学生委員の選出)
16:45各種インターンシップ[■]・留学[■]・進学 [■]・就職[■]に関するガイダンス(各15分)
17:45自由時間・入浴
19:00夕食〔人数により入浴と食事を交互〕
20:00懇親会(第一部:親睦会第二部:反省会)

第2日
8:00起床・朝食 各部屋の整頓 確認
9:00小教室に分かれて専修別ガイダンス・個別相談[■]
10:00解散。臨時バス出発〔タクシー手配〕
オプショナルツアー[■]

しっかりマスターしないと、突発的事項に対応できない・・・。M先生に深謝。

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摂津峡

2009-5-10

9時過ぎに大学院学内入試を担当する先生を見送った後、
10時解散。
4名の教員と20数名の学生が渓谷美を楽しみながら摂津峡へハイキング。電柱標識にも「ヤバケイ(耶馬渓)」。
大阪の秘境なり。

木陰に囲まれた清流のもと、絵を書く人やアウトドアを楽しむ人多し。川遊びする子供たちの姿も。鮎の放流、間もない頃とみえ、川鵜よけの糸が張られている。

昔、摂津峡→高岳館→合宿を企てたところ、ビシッとしたスーツに革靴のいでたちでチャレンジした先生もおられたとのこと・・・。
爾来、摂津峡は合宿後オプショナルツアーとなった由。

先頭集団がみえなくなるほどの「長蛇の列」になった頃、ようやく「上の口」バス停、到着。
ここから①高槻市バスで高槻駅、②神峯山寺、③チャーターバスで森林観光センター(樫田温泉)からの選択。本来なら、②をとるべきだが、昨夜は3時半就寝で7時半の起床。ややお疲れ気味なので迷うことなく③を選択。

学生とともにしいたけ狩りとレストランでの炭火焼バーベキューを楽しむ。温泉や露天風呂も捨てがたかったのだが、爆睡してしまいそうなので、やむなく断念。
のんびりした後にチャーターバスで高槻駅へと向う。オプショナルツアー・プロデューサーの実力に感心しきり。

参加学生へ:
オプショナルツアーで撮影したスナップ写真はこちらです。(写っていない人、ゴメンナサイ<(_ _)>
必要な人は、番号・タイトルと学籍番号・氏名を添えてメールで連絡してください。1枚あたり約1.2MBありますので、パソコンメール宛てに送ります。

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暑いです。寒いです。

2009-5-12

既に初夏・・・。

「用事があって教室に入ると、むうっ(とした室温)としているんですよ」と事務の方。
不思議なことに、学生たちは自主的には窓を開けない。大教室ほどこの傾向は強い。下敷きやノートでパタパタ仰ぎ出す者も。冷房は集中管理なので、まだ当分先。

折しも授業に対する学生評価アンケートの実施時期。
「教室、暑いです。入るなり、むうっとします」と書き込む者が毎年、何人か現れる。彼らにとってはこれが授業評価。
梅雨も近づき始める頃に冷房が入る。劇場でいうS席を避けるように壁際や後ろに張り付く。ところが壁際は冷房の吹き出し口。後方も冷気が籠る。今度は「教室、寒いです!」。
某大学では前方の学生と後方の学生とで冷房スイッチ争奪戦が展開するということもあるらしい。
窓を開けるだけで心地よい風が吹きこむのだが。(写真と本文とは関係ありません)
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演習(1)山村浩二 「頭山」

2009-5-13

某演習では学生の発表とコメント。
現役学生が、いま何に関心を持っているのか、世間の人々は興味あるところ。こちらとしても無理に仏教美術を強制しても虚しく徒労に終わることは火を見るより明らか・・・。
そこで自主的に何を選んで発表するのかを不定期にご紹介。
1回目はアニメ「頭山」(あたまやま)。
ケチな男がサクランボの種を捨てるのがもったいないので食べたところ、頭に桜の芽が出て、桜木に成長して・・・と古典落語『頭山』の現代バージョンアニメ。

素材に相応しく?滝田ゆうの漫画をアニメ化したような印象。鉛筆線のぎこちない動きは動画枚数とも齟齬するようだが、このあたりは演出効果。
始終、古いフィルムを意識した効果が確認。コマ送りのスピードが落ちたようにカタカタと画面が上下にぶれる。画面のちらつきもあり、なにより古いフィルムにみられる傷や劣化(アメーバのようなシミ)が広がる。
調子に乗って持参したDVDから適当な素材を流すと、今度はクレイモデル。
いくつかの指摘やコメントをした後、「いっそ、ヤマムラに絞れば・・・」とも。

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東方三博士の礼拝?

2009-5-14

馬小屋でイエス・キリストが誕生した時、東方より博士がやってきて、マリアと幼児キリストを礼拝。西洋絵画でお馴染みのモチーフ。

仏像のない異邦の学生から和様彫刻(10世紀の仏像)や仏教美術を一緒に見ましょうというお誘いと、仏像のある我邦の学生から仏教とは無縁な国の絵画や造形を“教えて”下さいというお誘い。
後者についてはよく知らなかったので、数少ない論文を読んでみると、本文中に「人ひとりの生涯、全てを賭けてもなお全貌は明らかにできないであろう」とご丁寧にも忠告?

諸事情により共にペンディングになっているが、関心を寄せるのは、言わずもがな前者。
別にイエスでも何でもないが、あと一人来れば「東方三博士の礼拝」の完成と思ったものの、尚文館でバカ騒ぎしている学生を思い出し、レオナルド・ダ・ヴィンチと同様、未完成のままでと思う。

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斯界の泰斗

2009-5-15
朝より学生と共に見慣れぬ資料と格闘中。
文字ばかりでひとつも面白くない・・・。

単調な作業に流されつつつある頃に、斯界の泰斗、登場。今しがた作業を終えた資料を手に取り、あれこれと解説。
今まで早く済ましてしまおうと動いていた手も止まり、一言も聞き漏らすまいと「耳ダンボ」の状態。
もちろん、全くの門外漢で分からぬ言葉も多いが、広げられた文書を一瞥して
「『聖廟』?・・・ あっ、これ(文末にある年号を指差して)はなぁ、菅原道真の生誕か没年の何百年にあたる年やろ、きっと。」
「追加」というのはコンサートのアンコールのような解釈でよいのだろうかと思う。
あまりの馬鹿な疑問にさすがに乞うのもどうかと。

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仏像調査

2009-5-16~18

某所にて仏像調査。
京都・奈良より離れているので、調査を終え写真撮影を始める頃に、仏像を前にして制作時期などをふむと考え込むことも多い。
(京都や奈良でも考えることも多いが・・・)
「この特徴はあの像とそっくり。」と推測出来ることも多いのだが、個々の特徴を総合すると推測した制作時期を上下に微調整する場合や長考に及ぶ場合もある。

「地方や江戸時代の仏像を数多く見たら京都や奈良に行って、(良い作品をみて)“目を洗ってきなさい”」と豪語する輩も未だにいるが、地方の仏像は、京都や奈良の物差しだけでは計れないところに魅力や特徴があるんじゃないか、中央・地方や制作時期を問わずにまずはよく見てよく考えるということが要諦ではないかとも思う。

大人2人で持ち上げるも、びくともしない立像も出現。
軽く叩いてみる(打診)と、まったく内刳りはない。像高168センチを計る一木造の像。あと2人手伝ってもらってようやく移動。
また一見すれば、彫眼で平安時代後期風の作品ながら、肩口や躰部と膝前材の接合具合をみると江戸時代の仕口であったりで、初めて調査する作品は、なかなか“刺激的”でもある。

17日夕刻、調査を終えてホテルにもどる頃に家人より電話。
「マスクが、どこにも置いて(売って)いないっ!」と悲痛な声・・・。
出先ではまだマスクがありそうなので、土産代りに買って来いとの由。確かに道行く人のマスク姿は皆無に近い。へぇい~。
不審がられるも、大型ドラッグストアでマスクを大量に買い込んでホテルへ。
夕食後「マスクはどうなった?」と再び電話。尋常でない様子に驚き、TVを付けると、三宮駅前での全員マスク姿の異様な光景。大阪や神戸に戒厳令が敷かれたような報道ぶり。大学は?と呑気にも大学HPをみると、PTAの短縮・中止や休講の告知。今週いっぱい休講・・・。
翌日の地方紙朝刊には全員マスク姿の「教育後援会総会」の写真も。
むぅ、予定通り大阪へ帰るべきなのか・・・。

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村野の遊び心

2009-5-19

休講となったので、予定変更して広島にて授業資料の収集調査(何の授業だ?)。

中区幟町にある世界平和記念聖堂。1954年8月竣工。村野藤吾設計。
玄関扉などドイツからの多数の善意(寄贈品)もさることながら、聖堂正面ファサードの「カトリック 7つの秘蹟」は彫刻家円鍔勝三によるもの。

聖堂設計はコンペで選ばれ、条件は「最も健全な意味でのモダン・スタイル」などが定められ、審査員は今井兼次・村野藤吾・堀口捨巳・吉田鉄郎ら。
コンペの結果、1等該当者なし、2等丹下健三と井上一典、3等前川国男、菊竹清訓ほかとなり、特に”コルビュジェ色”が強い丹下案・前川案をめぐって村野藤吾・今井兼次(反対)と堀口捨巳・吉田鉄郎(賛成)とが対立。村野自身が結局、”反コルビュジェ”的手法で設計を行った作品。
構造設計は「日本のタワー博士」内藤多仲。
この翌年、丹下健三は平和記念公園内に”コルビュジェ建築”を多数設計・・・。

あれこれ考えながら撮影していると(内陣は礼拝者がおられ断念)、内陣ドームの屋根に「鳳凰」像。村野藤吾の遊び心か・・・、帰って図面で確認しないと。
(追記:立面図[AN.4997-02]では十字架となっているが、ドーム上部彫刻取付台[AN.4995-65]では鳳凰の上に十字架へと設計変更)

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告知

2009-5-20

只今、休校中ながらも大学。
「来るな」と言われても先週は授業をフィールドワークに振り替えたので、金曜日から大学に来ていない。よもやこういう事態になるとは思っていなかったので「身の回り品」(お仕事)だけを取りに来る。

通勤途上も8割ほどの人がマスク姿。現実を目の当たりにすると、ちょっと驚きながら慌てて鞄の中からマスクを取り出す・・・。なんとなく気休め程度とも思うのだが、生来、流されやすいタイプ。

今年は事情があって参加できないが、あさってからは京都大学で美術史学会全国大会が開催。予定通り開催する方向ながら当番校の京都大学が全学休校となれば中止。ただ総会だけは別会場で開かれるとの由・・・。(Top&What's new?で告知)
「緊急を要する事柄」で、大会参加者はマスク持参・着用ということです。
参加しないけれど、周知かたがた。

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限界

2009-5-22

父子ともに休校中。
父は抱えた仕事がひと段落するまでこのまま、と思うも子は既に限界状態。
些細なことでも殺伐とした状況に。

そこで某君によって一計が案じられ、私用(身内)はインフルエンザのような、風邪のような按配にて後日に延期となり、お出掛け。
このところの行状、「ヲ井メアル ヘカラスヘキ」由にて。

途中、カーナビが空を飛びつつも2時間弱で白浜。
御坊からの一般道時代に比べてグッと近くになり、かえって宿泊客も減少するだろうと勝手に危惧。
パンダやイルカなどを見た後に「長生の湯」。
円月島に沈む夕日が見たいと座り込みを続ける娘を尻目に「もう帰るぞ!」と。
むしろ、こちらが限界状態にも。

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瀬戸物

2009-5-24

所用にて名古屋。
用件を済ませて瀬戸蔵ミュージアムを見学。
最近、博物館で久しく仏像を見ていないのに・・・。

工房や石炭窯の復元。聳え立つ煙突や絵付け場の心憎い小道具類に施設内とは思えぬ感覚も。
(蛍光灯のペンダントにぶら下がる眼鏡や魔法瓶・・・)

焼物のことを「瀬戸物」ともいう。ところが、美術史で扱う「瀬戸物」は灰釉やら鉄釉、黄瀬戸などで、我々が抱く瀬戸物(染付磁器)は19世紀に入ってから。しかも既に爛熟期に入った伊万里焼を意識している。もっとも瀬戸自体も中国陶磁を意識してきたのだが。
何気なく置かれた窯道具類や明治の銅版転写の仕組みをじっくりみたり、戦時下の代用品に驚いたり。
3階は古代・中世から明治に至るまでの瀬戸焼の変遷を示す製品を4~5段に展示して全長30mのコ字状の展示ケースを埋め尽くす。瀬戸焼のカタログ・レゾネである。
ここまで徹底してあらゆる物が並べられていると見ていてもむしろ清々しい。もちろん集積、出荷拠点である瀬戸駅も復元。
ただ階下の直営ショップには他所と同じく“伝統工芸の致命的悪弊”の露呈もちらほら。

立ち寄りついでながら、久しぶりに焼物の勉強。

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演習(2)横尾忠則 「Y字路シリーズ」

2009-5-25

授業再開。
今回は横尾忠則 「Y字路シリーズ」。

「作家個人を扱う時には、皆さんがどの作品(どの時期)を頂点として見るのかによって観点が違う。晩年が頂点と思う人もいるし、若くして才能が開花し、その後は惰性で制作したと感じる人もいるでしょう。頂点までが準備期間、その後はおさらい惰性 円熟期間と思ってください。Wikipediaで紹介されているようなべた~とした人生なんかあり得ませんっ!」と発表後、いきなり暴言。
いやいや、納得してもらっても困るのだけれど。

「Y字路」は前期:暗夜行路シリーズと後期:バリエーションに分類可能。後期作品をみると、なるほどこれまでの蓄積とミックスしたような・・・。

作品が発表された時にはまだ生まれてもいないので難しい事ではあるのだけれど、世相の読解?が不十分。《Tadanori Yokoo》(1965)になぜ新幹線が描かれているのか、寺山修二、天井桟敷、唐十郎といえば、ピンと来る感覚がやっぱり欲しいと思う。
「当たり前のように、CATVでアニマックスやらDVDやらTSUTAYAというけれど、放映当時はまさにリアルタイム、もちろん予約録画のビデオなんかありません。だからこそ・・・」ということで見えてくる事柄もあるはず。

いくつかの指摘やコメント(上記はあくまで座興、与太話)をした後、改めて《Tadanori Yokoo》を見てびっくり。ポスター下部には「HAVING REACHED, A CLIMAX AT THE AGE OF 29, I WAS DEAD(29歳で頂点に達し、私は死んだ)」との小文。 いやいや、作家自身が暴言吐いたらダメでしょう。
きっと気づいた学生もいるはずだ・・・。
「質問、ないですか?はい、無いようでしたら今日はここまでで終わりにします。ごくろうさま」。
5分残して強制終了。

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元祖 ひきこもりのニート

2009-5-27

慈照寺東求堂同仁斎。足利義政の書斎。
四畳半の小間。 違い棚、付書院を付属し、和風建築の原型というのは教科書通り。

日野富子や細川勝元らによって意のままにならない政治を疎んじ「働いたら負けですから」と言わんばかりに猿楽や連歌、酒宴に走る。
応仁の乱の後、若くはないが、37歳で隠居。50歳の時に東求堂を建て、四畳半の書斎(同仁斎)で、ひきこもり。
もっぱらの関心は、フィギュアではなく舶来アンティーク(唐物)。
しかもトータルプランナー兼コーディネーター(同朋衆)もいる。

このあと曜変天目茶碗まで話を進めたいのだが、むぅ、行き詰まってしまった・・・。
いっそ、ビデオでも流すか、と会議さなかに授業準備の思案中。

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遅刻してくるヤツもいました・・・

2009-5-29

1年生向けのリレー講義。

そろそろギャンブルも終り、酒宴の準備に取り掛かろうとする頃に、弓を担いで飛んでくるウサギ。笑顔ながらも「矢」は持たず。昼寝をし過ぎて大慌てだったのか、酒宴目当ての確信犯か。
講義終了後、待ち受け画面にするらしく複製を写メする者、多し。

パワーポイント使用。いくつかの異なるバージョンもあり、自ずとわずかながら話題も異なる。いつもはver.3を使うのだが、慌てていたらしくver.2のものが映る。ちょっとドギマギしながら講筵。

有名すぎるほどの素材ながら、じっくり見た人は意外に少ない。

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平野・大念佛寺

2009-5-30

午前中、大阪市平野区に御用。
途中、大念佛寺に立ち寄る。融通念佛宗総本山。恒例の“万部お練り(練供養)”も過日済んだばかり、今年は「着ぐるみ阿弥陀如来像」も確認された由。
胸部の卍がのぞき穴。着ぐるみの中に入った人の頭に仏頭の負担(重量)がかかるため、仏頭はやや小さく作られ、ちょっと不自然。江戸時代はなんでもこなす・・・。

山門は宝永3(1706)年創建。黄檗様の山門。経蔵は漆喰総固めともいえるもので、元禄年間とするも未詳。ちょっと不思議にも思う。融通念佛宗の脇侍は毘沙門天像と(僧形)八幡大士像。時折、仏像報告書などで毘沙門天像と地蔵菩薩像とされていたりもする。
相変わらず雑事多忙ながら境内でしばし一息。

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大阪ゆかりの日本画家

2009-5-31

午後に2回生見学会。
大阪すまいの今昔館「大阪ゆかりの日本画家」展を見学。
京都市立芸術大学 芸術資料館コレクションから、大阪出身の画家と大阪を描いた作品を展示。
菊池芳文、村上華岳、要樹平、玉城末一、青山為光、丸山石根、松浦舞雪、上村松篁、若林正士、星野空外、谷口香嶠、松宮芳年の卒業制作や絵手本類。
さて、このうち名前を知っている画家は何人?
大坂画壇というけれど、近代以降、京都画壇や東京に飲み込まれる様をまざまざと知る。

孔雀、鹿など近世からのモチーフに加え「羆(ひぐま)」やら「後姿の兎」って、どうよ?と質問あり。
「東山あたりにあった校舎から、学生が「岡崎の動物園」(京都市動物園:1903年開園)にせっせと毎日通って写生したんでしょう、たぶん。」とガセネタもどきに応える。それに加担するかのように、村上華岳《二月の頃》。吉田山から銀閣寺方向の眺望図。
他にも青山為光《山》(1918年)はどことなく小野竹喬《島二作》(1916年)を思わるものであったり、松宮芳年《堺の相生橋》にみえる小船の白砂を考えたり。

常設展示に移り、町屋は夏の装い。調度品(パーテーションパネル)として屏風が使用。やや滲みが目立つ屏風を見ながら、絵のほうはどうでもいいといわんばかり。これが大坂の実態ではなかったかと思ったりもする。
その後、お茶して解散。

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