日々雑記


飛び入り

2011-7-1

ゼミ生(卒業生)が「転職の報告」に来室。
「せっかく(大学に来たん)だから、授業でも受けてみる?」 「はい!」
コーディネター役の某授業。しばらくして 狩野古信《鯨図》 がホワイトボードに懸架される。
講義終了後、自由見学。元ゼミ生も参加。講師の先生が熱心に解説。

解説を受け座席に戻るゼミ生。「『専修の学生』なんで、気付けよ」と揶揄。「まぁ、まぁ・・・」と学生。
無理もない。専修に属していたとはいえずっと長谷ゼミ。口頭試問の折には先生はお休み・・・。
ゼミ生はコメントカードや授業評価アンケートも記述。
その後、梅田で祝杯。

在学生は怒るかもしれないが、授業評価アンケート、1名統計操作。だって某科目の自由記述用紙には「特にありません」って。「それなら書くなよ。カネ、かかってんだから・・・」とはゼミ生の弁。
誰に似たのやら・・・。

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早稲田大学

2011-7-2

早稲田大学へ。
当初の目的は坪内博士記念演劇博物館「表象とかたち-伊藤熹朔と昭和の舞台美術-」図録購入。山田伸吉がらみ。

ところが大隈重信像を目指して歩くと、會津八一記念博物館で、「江戸時代の文人画-荻泉堂コレクション受贈記念」展。あまり期待せずに立ち寄る。

ところが、これが大変な充実ぶり。
《菊花叭々鳥図》(方西園)には木村蒹葭堂の鑑識、中国盆栽図巻写には中西耕石・田能村直入の跋文、金子雪操や松林山人、岡田半江、岡田米山人《青衫浴後図》等々。上方の文人画がずらり。

以前、無謀にも大阪市民向けの講座で「大坂は文化不毛の地」といったところ非難轟々。「天王寺の美術館や大阪東洋陶磁美術館は市民の力」と書きなぐった批評もいただいたが、いずれも住友家(グループ)からの寄贈。それでも市民の来館率は低い。相変わらず古墳と土器、遺跡に執着。
「荻泉堂コレクション」を市立美術館に並べたとて、大阪市民は誰も見向きはしない。天王寺駅から市美へ向かう小道は「フェルメールの小径」。ちょっとは恥ずかしく思えよ。

大事に思わないからこそ、作品は大切にしてくれる所へ逃げる・・・。
常設展も、岡崎雪聲《執金剛神立像》(シカゴ・コロンブス万博出品)、横山大観・下村観山《明暗》、前田青邨《羅馬使節》(期間限定、拝見できず)など名品がずらり。奈良・「日吉館」の看板までも。

うちひしがれながら、坪内博士記念演劇博物館へ。予定の仕事を終え常設展と企画展。常設展でも加納鉄哉作《力士面》や身延山延年屏風など。

“格式”の違いをまざまざと思い知る。

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五百羅漢

2011-7-3

江戸東京博物館は9:30から開館。「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展。最終日ながら10時前に到着し会場に入ると、はや大混雑。

老いも若きも「やくざチック」な羅漢に見入るばかり。サウナ(浴室)に入り、兄弟固めの杯(受戒)を交わし、出入りの相談(布薩)をしと、なかなかの羅漢。それでも最後の四洲図は痛々しいばかり。成田山新勝寺の作品も出陳されていたが、松本良山の羽目板にも影響がありやと。
都合、百幅余拝観で5時間弱滞在。
会場ではデートらしく、彼氏が必死に彼女に五百羅漢の説明をしている(半分は当たっていました)。そうした(役立つ?)知的センスが、うちで育たないのはなぜ・・・と不思議にも。

その後、京橋・東京国立近代美術館フィルムセンター「映画パンフレットの世界」展へ。
山田伸吉の「Shochikuza News」9点出品。いずれも関大図書館になかったもの。 横を見ると葵館プログラム(Aoi Weekly)や芝園館プログラム(SHIBAZONKAN)。前者は村山知義、後者は竹久夢二による表紙。「Shochikuza News」も他館と同じくモダニスムを前面に出さなければ「ダサい」と思われたのだろう。しかし、こうして他館のプログラムと並べられると、かなり見劣りも。
「MUSASINO WEEKLY 武蔵野週報」(1926-28)には「SHO」のイニシャル。「Shochikuza News」にも同じイニシャルがみえる。解説によると、出石章吾。
はて?そのほかにも諸々。(写真はチラシの合成)

夜半に帰阪。

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根拠

2011-7-4

論証文と感想文の違いについて、実例を掲げつつ『関西大学通信』最新号(402号)に掲載。タイトルは「論文(レポート)の書き方」。2週に渡っての「春学期試験」対策特集。
「『盗用・剽窃』は著作権法に抵触する」と手ぬるいことが書かれているが、窃盗であるがゆえ零点。人格を否定せんばかりの罵倒もあり得る。

意見と感想の違いは理由(根拠)がないこと。「だって皆、そう考えるでしょ。」と言われても誰も信用しない。日頃から自分の考え・意見をもち、その根拠(理由)を説明できて、初めて人は納得する。

国道沿いのスイカ売りだって、最近は「試食」という「根拠」を示す。試食のスイカと山積みのスイカが同じ味とは限らないところがミソだが。
学生の頃、ナンバ・高島屋地下街の隅っこでネクタイ3本掲げて、「3000円!」というアコギな商売(「じゃ、もらうわ」と言った途端、「毎度、9000円。」)を見てきた者にとって、根拠があってもなかなか信用はしない・・・。

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絵金祭り

2011-7-5

絵金祭りの案内をいただく。7月16日・17日。これを挟んで「絵金蔵」では絵馬・白描展示・夜間開館と盛りだくさん。
年に1度の大公開である。

絵金蔵の前には芝居小屋「弁天座」。上演されるのはもっぱら(絵金)歌舞伎である。

以前、リレー講義で「芸」と「演技」の違いについて語られた先生がおられる。説明された先生自身がびっくりするほどの名解説。
同じ振舞いをしていても「芸」と「演技」とは根本的に意味が異なる。振舞いや所作をしている者自体に注目する場合が「芸」、振舞いや所作自体に注目した場合は「演技」となる。犬が前足を前後に揺らせて、二足歩行していても「犬が演技をしている」とは言わず、「芸」をしていると言う・・・。

農村(漁村)歌舞伎は「芸」だろうか、「演技」だろうかと思ったり。地方だから(無名の役者がしているので)「演技」とは限らない。「石見神楽」では「追っかけ」も多数存在し、まさしく「芸」能である。
今年も先約ありで行けず、残念しきり。

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卒業記念

2011-7-6

午後、昨年度の卒業生S君来室。今は近所の大学院で研究中。お昼の会議が長引いて合研にて面談。

用件は今春の卒業式で渡すべきところの記念品贈呈。春はサバティカルで卒業式にも行かなかった・・・。とはいえ、「もう明日は七夕だぞ」と。今まで手元で保管していたらしい。しかも慌てて合研でラッピング。
卒論指導も何もしていないので、記念品を頂く資格などまったくないが、ありがたく頂戴する。

早速写真をフレームに入れ、懐かしい顔ぶれを見ながら3回生のゼミ発表などを思い浮かべる。
卒業生の皆さん、確かに受け取りました。どうもありがとう。忙しいようですが、また大学へも遊びに来てください。

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銅赤(毛)

2011-7-7

午前中、散髪。
すっかり伸び放題になっていたにも関わらず放置。最近は気付く人も増え、「ちょっと、赤くないか?」と尋ねる人や挨拶をしても(ハセだと)最初は気付かない人もいる。
事情あって、秋には元の状態に戻る(白髪交じりの黒髪)。

茶髪?も限界で、蓬髪状態。秋には「黒髪」。さて、このインターバルをどうするか?

見知った関係各位からのアドバイス。
(1) 「黒」に染め直し、違和感の少ないうちに同化。
(2) そのまま黒から2番目の「茶色」に「増色」。
(3) 伸びた髪をそのままにして「シルバー」に染めて「小澤征爾」風。
(4) 黄金色に染め、中央だけを残して「ホリエモン」のように「モヒカン」。
(5) 授業内容にふさわしく「剃髪」に作務衣姿。

久しぶりに仰向けになって「洗髪」後、店員が「さて、どうしましょうか」と。
事情を話して(1)~(5)の条件を提示。しばし熟慮の後、「今日はカットだけにしておきましょう」と。
短くなった髪を鏡で確認しながら、なんとなく安っぽい金箔のように「赤味」が強い。

茶髪は色褪せると「銅赤」になるのかと。

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土沢

2011-7-8

リレー講義は「萬鉄五郎」。《木の間から見下した町》(1918年)が大写し。あ、これは・・・と。

萬の故郷である「土沢」の風景。現在「萬鉄五郎記念館」が建つ丘から土沢を見た風景であることが一目瞭然。
ちょうど、 昨年訪れたので、記憶も生々しい。

1918年といえば、萬は東京に居る(翌年には茅ヶ崎)。東北訛りが抜けぬなか東京へ妻子を連れて売れぬ油絵(を描く)生活は並々ならぬ苦労とコンプレックス。
土方定一による「郷里、土沢の回想であることは、萬の郷里へのかなしい回想を思わせる。回想のなかで郷里のこの風景は、いつの間にか浪漫主義的に美化され造形的に純化され」た作品であるとの指摘(『三彩』・1962年)は正鵠を射ている。

初期キュビスム回帰への「土着的」表現。「土着」といっても、岡本太郎的「日本」ではなく、東北独特のものと思ったり。
講義終了後、おそるおそる同じ東和町にある「成島兜跋毘沙門天像」を例に出して「東北的土着」に言及したところ、「(萬鉄五郎への言及には)そういう説もあります」と。
コーディネーターが勉強してどうすんねん。

ただ、「土沢」には苦い思い出も。列車ダイヤを知らずして、近くのCOOPで缶ビールと竹輪を買って時間を潰したことも。

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変則

2011-7-9

梅雨も明けて、世間は土曜日、関大は月曜日。
この時期は「試験」期間も近づき、7月18日(月)は祝日で休みなので、明後日は「学力到達度の確認」(テスト)である。世間は土曜日なので学会も開催。
美学会284回研究集会が同志社大学寧静館で開催。「試験準備」(?)・学会出席のため本日は休講なり。

発表は「後期(ミシェル・)フーコー論」。ニコラ・ブリオーやクレア・ビショップと絡めて。次いでの発表は18世紀末~19世紀初頭にかけて刊行されたスウェーデン(中・上層)家庭向けの定期刊行楽譜集「Musikaliskt Tidsfördrif」(音楽の気晴らし)を中心に。

研究発表、質疑応答、委員会を経て終了は19:00。
昼、京都御所の木陰でのんびりとした時間の流れが嘘のよう。

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龍穴

2011-7-10

猛暑の中、室生龍穴神社へ。室生寺のやや奥。

仏式による祈雨神事で有名。室生寺は神宮寺(龍王寺)とも。拝殿には「善如龍王社」の扁額が掛かる。この写真が必要。奥の院には「龍穴」も。
大乗院尋尊も寛正2年(1461)4月4日に室生寺の本堂、真言堂、五重塔を拝見した後、「龍神社・谷龍穴」を訪れている。尋尊はその後、「御池・悪龍淵・仙人岩屋谷・穴ヵ淵以下をことごとく訪れ、「凡希代不思議神秘也」と。

杉木立のなか参拝をすますとひんやりとして涼しい空気が漂う。室生寺からわずか700mしか離れていないのに、ここまで足を延ばす人は少ない。「木」ならぬ「水」のおかげである。

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微妙な雰囲気

2011-7-11

「到達度の確認」テスト。筆記試験を挟んで、前にまとめ(「総括」)、後に「講評」。
筆記試験なので、おなじみの「持ち箱」(答案用紙・筆記用具・確認票の“三種の神器”在中)持参。

教室に入ると、おっ、来た来たという(学生の)雰囲気。
いつもの「筆記試験」なら、「はい、それでは、学生証、筆記具、許可されたもの以外は全部仕舞って下さい。では、問題を配ります・・・」となるところ、「それでは、これまでの授業の総括ですが・・・」と。学生の表情をみると、「ぐだぐだ喋っていないで、はやく(試験)しろよ。」がありあり。
長蛇の列が出来てしまった開店2分前の店員と客との心境。
試験内容もあるので、うかつに「後半では運慶を扱いました。東大寺復興では重源が・・・」などとは喋れず、のらりくらりと。

60分間の試験開始。
「おっ、完璧」とか「あかんがな、もうっ」と悲喜こもごもで30分を過ぎても、通常の授業なので、答案を出して退出することはできない・・・。解答が書けた人もそうでない人も答案を前に沈思黙考状態。
きっかり60分後に「はい、時間です」と答案回収。枚数を数え出席者数と照合。

その後に「講評」。試験で取り上げた内容を喋ると、眉間に皺を寄せる者や「もう、終わったんやから」という開放感が充満。またしても微妙な空気・・・。

いつもとは違う空気がずっと漂っていた授業最終日の教室。

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速水御舟

2011-7-12

今村紫紅(1880~1916)と速水御舟(1894~1935)は同じ松本楓湖の画塾「安雅堂画塾」の先輩と後輩。14歳違い。 御舟は終生、紫紅を敬愛し「何ものにも拘束されず、自由に、快活に自己の絵を描く」「暢気に描け」と言われた。

御舟晩年の《埃及(エジプト)風俗図巻》(1931年)。
紫紅の《熱国之巻》(1914年)の存在がありありと感じられる。
彼らの関係をみれば、御舟の琳派への傾倒も、紫紅の「宗達」好きが大きく影響しているのだろう。
関東大震災で京都へ避難した岸田劉生もさることながら、紫紅との結びつきはかなり大きい。

御舟が描き、横山大観が罵倒、激怒した《比叡山》(1919年)や《洛北修学院村》(1918年)に思わず息を呑む。「馬鹿じゃないのか、大観は。」って、授業中に教員が叫ぶな・・・。
ゼミからは絶対、「横山大観」を研究する学生は育たないのかも。

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越後のミケランジェロ

2011-7-13

終日、会議ディ。

新潟へ仏像見学に行かれた方からのお土産CDをみる。
「越後のミケランジェロ」と称される石川雲蝶(1814~83)の作品も。幕末の江戸彫石川流彫物師。

雲蝶をはじめ彫物師は仏像も製作する。日光・東照宮のように仏師も彫物を手掛ける。職域の境界は実に曖昧。
写真は頂いたうちからの「烏天狗」。
美酒と良いノミ(鑿)を与えるということで、越後入りした雲蝶だが、添えられた手紙には、時の住職は雲蝶に「男の背中は領収書、女の背中は請求書のように彫りなさい」と言われたとか。私には何のことだか、さっぱり・・・。(?)

幕末期の彫刻は、多彩の極み。組織も職人もごちゃごちゃ。混沌とした時期の先に「近代の彫刻」があると思うと、漏れ落ちているモノは数限りなく多い。ばっさりと、「美術」という刃物を用いて、近代は木彫とブロンズだけを対象にして考えるのは楽だが、知ってしまった以上、一刀両断とは、なかなかいかないものである。

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平成ぽんぽこ合戦

2011-7-14

全学共通科目の授業終了後、RGBケーブルなどの後片付けをしていると男子学生が教壇に来る。
この授業も残すところあと1回。

「『就活』で授業に出れなかったので、これまでのプリントがあったらほしいのですが?」
「了解。じゃ、紙に学籍番号と名前を書いて。」
(この授業曜日・時間帯だけ(集中的)に『就活』など、入るわけないやろ。就活していても来る学生はちゃんと授業に出とる!)

余っていたレジュメ数枚を渡す。学生、安堵の表情。紙をみれば、噂の学部。

「就職先、決まったんかいな?」
「はい。」と明るい返事。
( くそー。ウチのゼミ生は今苦戦しているというのに・・・。)

「ところで、これ(私の担当科目)で、(卒業に)リーチかかってんのか?」
「えぇ、まぁ。でも後期も(別の全学共通科目を)取っていますから」と、つい本音。
(この授業は「予備(保険)」というわけやな・・・)

「そうか。でもレジュメを全部揃えて試験に臨んでも50点しかとれんような問題なんで(合格は60点以上)。そのことは先々週もアナウンスした通り。まぁせいぜい、頑張り。」
急に表情が曇る学生。
「でもまぁ、これで落ちても、秋学期も別の全学共通科目を履修しているようやし・・・。」

こいつ 今年は厳しく採点。どうせ「(科目履修)裏サイト」などで「レジュメを揃えれば、楽勝」などと、書かれて安易に履修したのであろう。
「清涼寺」「銀閣寺」「平重衛」など誤字脱字はすべて零点。「裏サイト」で、「授業に出ないと厳しい」と書かれるまでは厳正化。

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タフマン

2011-7-15

午前中、会議。午後からは大阪都市遺産研究センターで打ち合わせ。

その後に授業。リレー講義も最終回。分属説明会も済んでそろそろ揺れ動く「お年頃」。
世間の誤解からの呪縛が解ける時期でもある。

「何で、◎専修と☆専修、△専修、◇専修が多いんですか?」と授業後に質問。「だって、君らは◎と☆、△で受験しとるやないか。◇にしても期待した『血液型占い』とか『血液型にみる相性』なんか、講義(テーマ)に出たか?」と。
「高校と大学の学習は違うと、いつも言ってることやないか。「学習の機会」はいつまでもあるけれど、人生に“青春”は1回しかないねんで。それを高校の勉強での延長“戦”で使い切るのはあまりにも、もったいない気がせぃへんか・・・」。

喋りながら、来週には分属相談会があることを思い出す。教員数が多い専修はこうした校務も分散するが、少ない専修はこうした負担も増える・・・。“○○政治”なんかに勤しんでいるヒマはない・・・。
どことは言わんが。

質疑応答が終わると6時過ぎ。慌てて修論口頭試問場へ。「『美術史』とは『美術』+『歴史』であり、「歴史」の部分が貧粗だとねぇ・・・」。
その後、新大阪に向い、8時過ぎの新幹線で上京。ホテルに到着したのは11時を回ったころ。
「タフマン」の山手線に乗りながら、はぁ・・・ちょっとお疲れかも。

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公開講座

2011-7-16

関西大学東京センター(丸の内・サピアタワー9F)で公開講座。
朝から快晴。気温も急上昇。

過日、上京した時は節電のため駅の照明が間引かれて“暗い”と感じたが、慣れたのか、今では大阪が“まぶしい”と感じるほどに。学内でも幾つかの照明が間引かれているが、節電云々原発云々というよりこれが普通。このところ、くだらん意見多すぎ。

“爆睡”したので、美術館に寄るほどの時間もなく、東京センターへ早く伺っても先方の仕事の手を止めるだけなので、サピア(3F)のスタバへ。オフィスビルにあるカフェの土・日はゆったりとした時間が流れる。レジュメなどに目通し。

予定時刻になり、9Fへ。ご挨拶と打合せ。13:30から15:00まで、鎌倉・東京にある仏像を交えての(リップ・サービス)「奈良地方の仏像」について。10分ほど時間超過して講筵終了。
質疑応答も無事済んで、眼下にみえる東京駅へ。

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だからこの日は

2011-7-17

やんごとない事情により京都。今日は祇園祭宵山、山鉾巡行。
「田舎者なので雑踏は苦手」と固辞するもの、炎天下、河原町通りの一角に立つ。だからこの日は嫌だと言ったのに。

神事に関わる用語は難しいというか、誤解があるというか・・・。

割竹を敷いて水をまき、勢いよく山鉾を右左折。これを「辻回し」という。洛中洛外図屏風でも細い道を山鉾が巡行。山車(山鉾)にはハンドルがないので、このようにして曲がらざるをえない。ところが一部では、「遣り回し」とか「引き回し」とか言う。あちゃ~。
「遣り回し」は岸和田のだんじり、「引き回し」だと一条戻橋に行かねばならない・・・。
お盆になると「京都五山の送り火」。それでも「京都・大文字焼き」と記す報道や書籍が後を絶たない。ホンマにわかってんかと。

某先生の「「学問大衆化」の波に乗ることで糊口を凌ぐ途もあろうが、学問の社会的意義を認識させる教育も必要ではないか。」との嘆きも同情。

それにしても京都は暑い。終日、汗だくだくで雑踏にもみくちゃ。
だからこの日は嫌だと言ったのに、もうっ。

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同じ穴の狢(むじな)

2011-7-19

スポーツ嫌いなので、ご意見無用にて。
各地で高校野球・地方予選が始まっている。サヨナラや僅差で勝ち進むところもあれば、大差で勝つところもある。これは仕方ないとは思う。
でも、33-0とか39―0、71-0で「勝ってめでたい」と思うのは異常。相手にとっては“メッタ突き”。他人への思いやりが全く欠如しているとしか思えない。ここまで放置する大人(審判)もバカだから、なかなかコールドにしない。「健全な心と体の成長を遂げてくれることを期待しています」と高校学内での講演会。はぁ、今、何と仰いました?
情けない(危ない)世界である。

大手新聞社「大学の実力」調査。そこに千葉の高校教員が授業中のマナーへの対応を尋ねていないがという問い合わせ。教員の高校では、携帯電話の使用禁止、 人の話を聞きながら他のことをするのはマナー違反と教えるが、大学で受け継いでくれるかと。
尋ねる方もバカだが、記者も「ある大学の場合、教室ごとに「携帯、飲食、私語禁止。脱帽、コートは脱ぐこと」と貼り紙がされているが、事実上、野放しだ。」と指摘。「マナーの問題には、奇妙な閉塞感が漂う」と結論つけるが、社会常識の問題だろ。

簡単に剥げるようなメッキを施して、「はい。高校を卒業したのであとは大学で」というなら、メッキが剥げたなら、PL法で高校へ戻して、(不良品を)もう一度剥げないように改めるべきだろう。

“弱者”をメッタ突きにして喜ぶのは人としていかがと思い、不良品を出し続ける下請け工場の親方の「逆ぎれ」にも思える高校側の理屈。
新聞社も同じ穴の狢(むじな)だから共感するところも多いのだろうと邪推。

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臨時休業

2011-7-20

朝、台風襲来。近畿一円、暴風警報発令中。
大学の規定では、10時までに府下での警報が解除されたら午後から授業。13時までだと6時限から授業。見知った学生から「今日、授業ありますか?」とメール。大学HPのトップ頁の下「重要情報」に書いてあると返信。

10:07に警報解除となり規定通り夕方まで休講。たまっている書類を済ませて、オフィスに向かえば、貼紙がされ施錠中。そういうことかと合点。「今日は日曜日」だ。私と同じような先生もちらほら。

警報発令に関する授業対応は各大学で様々。立命館は10:00、12:00、15:00と小刻みに。同志社では9:30の時点で全日休講の決定。9:00で終日休講のところもあれば、7:00の時点で、はや「全日休講」のところも。

各大学も今は試験期間などにあたっているので、休講とはいえ事後対応の調整もたいへん。うちも来週は試験期間。今日予定の授業内容を試験に含んでいたら(既に試験問題は提出済)、教壇上で「問題3は削除です。扱っていませんから」となりかねない。世の中、そんなに甘くはない証拠。

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この女や!

2011-7-21

リソグラフで試験用紙を印刷するので、細かい表や図、写真等はご法度ながら、今回、事務方を煩わせて問題に図版を採用。

「以下の図は滋賀・聖衆来迎寺蔵《六道絵》(閻魔王庁図)の部分図です。この場面について説明しなさい。」

「女が連行され、男も縛られている。間にいるのは幼児」(法・男)。先入観でもって人を裁いてはいけないという法曹界の見本のような回答・・・。「子供の面倒を見ずに女として享楽の人生にふけり、淫行などを働いた罪で連行されている。後ろは間男。」(文・女)って、かなり考えすぎ。週刊誌の読みすぎ?
「罰せられる母親を逃がそうとして着物の裾を引っ張る子供」「罪を犯すと、その子供までが罰せられる“因果応報”を示す」「今、女性が裁かれようとしているが『お母さん、行かないで』という感じで裾をつかんでいる」(文・女)というのも、誤り。ここは何といっても地獄の1丁目。

子供が手にするロウソク状のものは「訴状」。
間引きや堕胎で殺された子供が母の裾をつかんで訴状を示し、「ボクを殺したのは、この女や!」と閻魔王に訴えている場面。もちろん後ろの男は、父親。
正解率は意外にも低く60パーセント。

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現代美術 その1

2011-7-22

現代美術は難解との評判。若干、分からないわけではないが・・・。

抽象作品の多くは、そのタイトルが「No.31」とか「作品」「無題」とある。展示会場で作品を前にすると、多くの人は「はぁ?」と思わざるを得ない。
でも、逆に、作品に《出会い》とか《矛盾》とかのタイトルを付けると、「画面のここが男性で、この部分が女性」とか「丸いところと四角いところが『矛盾』である」などと、作品を前にしながらも、作家が予期しないところで“勝手な(素人)判断”がなされる。そんな先入観よりも虚心に作品をまずよく見ろ!という作家の意図、意識が「No.31」とか「作品」「無題」のタイトルとなる・・・。
これなら先入観なしに作品を見るだろうと。

作家の言わんとすることはなんとなく分かるが、正直なところ、「具体的なタイトル」があっても逆に「はぁ?」という作品も多いのも事実。

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現代美術 その2

2011-7-22

仮に「目玉焼き」と揶揄される吉原治良の「円」のスライドを3枚、学生に見せるとする。1枚目は典型的な代表作品。2枚目は駄作(失敗作)。3枚目はちょっと異質、異色な作品。初めて見る学生にとってはどれも似たり寄ったりにしか見えない。

「例えば皆さんが美術館の学芸員でこのうちのどれかを購入しようと思います。皆さんはどれを選びますか?まず1番目だと思う人・・・。」 それぞれに挙手。

美術館が初めて吉原の作品を購入するなら迷わず1番目だが、既に吉原の作品を所蔵している場合は3番目。躊躇なく2番目を選ぶようなら、かなり問題(の学芸員)。ただでさえ狭い業界、「アイツはモノがわからない、みえていない」と風評著しい。
なぜ2番目が失敗作であるかは、吉原治良の作歴や制作意図を研究しないとみえてこない。

本当は彫刻や古美術でも同じことなのだが。
本日にて春学期授業終了。

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甚目寺仁王像

2011-7-23

名古屋市博物館「甚目寺観音展」へ。夏休みに入ったとみえ、会場内には子供がたくさん。

お目当ての 金剛力士像。見ればみるほど、面貌は鎌倉風を意識しているが、全体に誇張された江戸時代初期の作風。肩部(鎖骨)あたりの造形が破たん気味。阿形像の腰にはベーグル状の渦巻きも。

慶長2年(1597)に武将福島正則が寄進したもの。作者は「大々工 吉田彦宗・西村又蔵」と「小工 吉蔵 市蔵」の作。大工による作品。
尾張における甚目寺が古刹、霊験あらたかな寺院であると強調すればするほど、福島正則はなぜ大工に制作させたのか不思議に思う。康正とは言わないまでも康厳とか康理など京都には「仏師」がたくさん居ただろうに、不思議。他にも愛染明王像、十王像、四天王像などを拝見。愛染明王像は納入品(合子入り愛染明王像)ともども必見の由。
その後、徳川美術館・蓬左文庫を見学。焼物と狩野探信の作品、細工された短冊など。間違っても徳川家が持っていた茶碗だから「大名物」とは言わないのだが、展示場の人たちはなぜか誤解も。《蒙古襲来絵詞》模本(蓬左文庫)にちょっと驚く。

夕刻、豊橋へ向い、某氏と合流。
某氏おすすめの「ヤマサのちくわ」で一献。ちくわがこれほど、うまいとは。

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三河

2011-7-24

朝より三河・某神社で調査。
こちらは彫刻や工芸品、某氏は古文書を調査。

境内に入ると、本殿・拝殿のほかに三間四方の宝形造建物。今は倉庫(物置)ながら、なんとなく仏堂ぽい。総代氏に尋ねると、神仏分離に際して道路を挟んだ反対側に別堂を建てて仏像を移したとの由。

調査を終えて別堂を見せていただくと、平安や江戸時代の仏像が並ぶ。前者は既に指定されているが、これらが往時は神社の境内に安置されていたとは。脇檀には善光寺式阿弥陀三尊像(木造・江戸)も。「三河」に来た思いを強くする。
銅像にしろ木造にしろ善光寺式阿弥陀三尊像は、東日本で多くみられ、西日本ではあまりお目にかかれないタイプ。広島・安国寺とか宮崎、山口にもあるが、これは例外。大阪や奈良の寺院ではほぼ皆無。

昼食後、近所にある古墳やらお寺(曹洞宗なのに大師堂(弘法大師像安置)あり)を案内してもらい、あれこれと解説してもらう。田畑広がるなか、暑い一日を過ごす。

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査読

2011-7-25

終日、論文読み。

またもや、分からない用語など続出。最近はこまめに学会や研究会に出ているので、はて?というのも少なくなったのだが。
相変わらずネット検索。これは全くの専門外で、しかも別にコピペするのではなく情報収集の一環。いろいろ検索していたら、おや?という学会名。しかも、そこの全国大会で発表済。
むぅ・・・。学会で口頭発表したものを別の学会誌に投稿するのはいかがなものかと思う。内容以前の問題として、「人」として問題なんじゃなかろうかと。しかも誰かのTwitterで既に暴露済。さすがは「情報化社会」。

細かく投稿規定を決めるより、明らかに「人」としてバツ印を付けたい気分。同じテーマで何度も発表する「反芻」のような人もいる。
なんか最近、不思議な人が多くなったようにも。

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よだけかけ

2011-7-27

御堂筋彫刻プロムナード、またまた 受難。19体に赤い衣服を着せられる。各彫刻の体形に合うように着衣は加工済。すぐさま「奉納」と書かれた「お地蔵さんのよだけかけ」を思う。

伊勢・朝田寺の本堂(本尊 地蔵菩薩立像)には、初盆を迎える故人の衣服をびっしりと天井から吊るして供養する「掛衣(かけえ)」とよばれる地蔵会式がある。地蔵のよだれかけも「掛衣」の延長。
いたずらにしては、手が込んでいるが、よもや死後鋳造のブロンズ像に供養はないはず・・・。

知事も「アートと評価するならいい」とのバカ発言。
作者や設置の意図がまるでわかっていない。なんでも「アートならいい」という話ではないはず。
奈良の大仏さんに「赤いよだれかけ」を付けたら、大阪の首長は「表現の自由はできる限り認めるべきだと思う。服を着せているだけなら器物損壊にならないだろうし、みんながアートと評価しているならばいいんじゃないか」というのか。安っぽい学生じゃあるまいに「みんな」って誰と誰を示すのか。

「裸なんで服着せてあげたんとちゃう?」という人も現れ、明治の「裸体画論争」でもあるまいに。
アートを鑑賞する土壌が皆無な証拠。

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大人の味

2011-7-28

日射しきつく猛暑。今週は試験期間。チャイムも不規則。
午前中から断続的に試験監督(ひとつはこちらの担当科目)。ともに1年生の全学共通科目。教壇から見渡したところ、170名ほど。

事前予告の通り、プリントを集めても満点には程遠い。30分経過後、退出者は10名ほど。(授業中だけでなく)試験中にも寝るなよ、まったく・・・。
終了後、予想以上の答案回収に手間取り、事務方や応援の先生にもお手数をおかけする。このあたりは(問題作成)改善の余地が残る。見た瞬間、すっきり諦めきるような問題も必要かと。
とはいえ、裏サイトが徹底しているらしく、「参照条件:一切許可」にも関わらず、ほとんどが配布プリントだけを持参。

科目名を「日本・東洋美術を味わう」というが、配布プリントに書かれてある名称だけ覚えてもその「味わい」は分からない。あれこれと見る(食べる)ことによって初めて「味わい」が分かるものである。そのため、こちらは毎回50~60枚のスライドやDVD・VTRを用意してんだから。
日本・東洋美術は「大人の味」ともいえるのかも。
夕刻には夕立。

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こんなこともあり得る

2011-7-29

事務手続きにて博物館事務室へ。
用件が済んだ後、ラックにある展覧会のチラシを引き抜く。「佐藤忠良」展。早くも追悼展(今年3月30日に逝去)と思いながらチラシをよく見れば、「白寿記念」。特別協力も「佐藤忠良」ご自身。ん?

会期をみると3月26日から9月4日まで。展覧会が始まって5日後に亡くなっている。こういうこともあるものだと。

講演会最中に倒れられ、そのままと冥途へ旅立たれた人もおられる。高齢の方は元気だが、作品展や講演会講師等、受け入れ(依頼者)側には、ある種の不安がつきまとう。
と思っていたら、神戸文学館「SF作家 小松左京展」も。

開催の佐川美術館では、急遽、4月2日より「追悼展 佐藤忠良-ブロンズの詩-」に変更。

午後には過日の台風休講で流会になった会議。場所変更を失念し遅刻。「暑いからといっても(これからは)ちゃんと出席してもらわな、困ります」と。
しゅみません。仰る通りです、はい。

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事故者ゼロ

2011-7-30

試験監督2(ひとつは本部待機)。

「(試験)監督表」には「事故者記入欄」がある。そこに学籍番号・氏名と「事故内容」を記す。間違っても「前方不注意」とか「右折時確認不十分」とは記さない。
そこには「学ナシ」「不良」「不正」「疑問」と記す。
「学ナシ」は学生証不携帯(受験許可書での受験)、「不良」は受験態度不良、「不正」は不正行為、「疑問」はその他の疑問。その他の疑問とは難しいが、学生証の顔写真と本人の風貌などが明らかに異なる場合(他人による受験?)などを示すのであろう。学生証の顔写真が気に入らないといって裏を向けてもアカンし、いくらイメチェンしても同一人かどうかは瞬時でわかる・・・。

本当に怪我や事故などの場合はどうするのか。特別試験場で受験。ひとつめはここを担当。
受験者は右手 第4・5指割損 小指と薬指を骨折。最小限の包帯姿。鉛筆は持てて筆記できるが、消しゴムはちょっと苦労している。その分を勘案してか、通常60分試験が80分に延長。問題は非情にも記述5問(参照条件:一切不許可)。

事故者記入欄にはもちろん無記入。40名ほどの小教室で1対1の静かな80分間。
別室では20分遅れで150名ほどの大試験“大会”。同じ問題ながらもちょっと雰囲気が違う「個室」。

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南泉斬猫

2011-7-31

京都国立博物館「百獣の楽園」へ。
知られざる名品が集う独自の特別展は、「夏休み企画」&「京都市動物園」とのコラボレーションながらも、京博ならではの、ひと味もふた味も違う展覧会。

期待にそぐわぬ内容。京博の常設展で見たこともある作品も多いが、兵庫・柿本神社森狙仙《猿図絵馬》や雪村《菊竹蟷螂図》など初めてみる作品も多い。式部の“猿山”も久しぶり。

「猫」コーナーもあり、海北友松《南泉斬猫図屏風》が展示。ありゃ。
「南泉斬猫」とは以下の如し。
東西両堂の雲水が、一匹の猫を捕まえて、猫にも仏性が有か否かについて議論。東堂が「一切衆生恣有仏性」を引いて猫にも仏性ありと説明。西堂は「畜生に仏性などあるものか」と反論し騒々しい。そこへ南泉老師が出て、両者に割って入り、右手に剣、左手で猫の首をつかんで、「道言い得れば助けよう、道言い得ずば斬る」と喝破。東西の雲水は驚いて静まりかえると、剣がひと振り・・・。

公案には似たような話があり、寒い日、丹霞天然(僧侶)が、暖を取るため木仏を焼く。それを他人から非難されたので「木仏を焼いて、舎利を取る」と抗弁。しかし相手は「木仏から舎利が取れるはずもない」と 言ったので、「それなら文句、言いな!」と。

その隣には、無類の猫好き《佐久間将監像》。胸元には「猫」。「えっ、ネコもですか?」と絵師の困惑が目に浮かぶ。《十二類絵巻》や《義湘絵》、狩野派《鳥類図巻》も。満腹満腹。
午後から、京都大学で恒例の会議。

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