日々雑記


別世界巻

2014-07-01

午前中の授業では、学生と図書館内の教室で耳鳥斎(にちょうさい)筆《別世界巻》を熟覧。

昭和11年3月に大阪・鰻谷の薬商 某氏から出た作品で、大阪美術倶楽部で340円の値が付けられた旨の添え状も付属。

冒頭の「たばこ好きの地獄」では、キセルにされた人を鬼が吸い、そばではたばこ入れにされた人も。「たいこもち」「置きや」「人形遣い」「そば好き」「和尚」など鬼と人が入れ替わった21場面からなる地獄絵巻。なかには「明神講中」や「金毘羅信心」、「屁道師」も。

こちらは内容よりも、料紙の長さが1m近くあることに興味がわく。

今の学生にはわからない内容もあって、意外に難渋。「ところてんや」、「置屋の線香」、「金毘羅信心」の樽、「屁道」が理解できるように説明すれば・・・。

ともかく無事に熟覧終了。今の学生にとってみればまさに「別世界巻」。

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仏師左京

2014-07-03

見知らぬ人より問い合わせあり。「仏師左京って誰?」

「左京」という名の仏師はそれこそ近世を通じて無数にある。左京だけでは全く見当もつかない。添えられた写真には「仏師○○村左京」とある。この○○村も全国にかなりある。ちょっと知られている○○町に尋ねてみたが該当なしで返答がありこちらにお尋ね。

よくみると「○○村左京」には国名・郡名がない、ということは仏像のある周辺地域であることが想像できる。そこで調べると20㎞ほど離れた所に同じ村名。小さな集落だが、幕末には大工もいた。まったく繋がりがないわけでもない。

ようやくお尋ねのひとつが解けたが、写真をみると「再興」の文字。作風は示された時期よりさかのぼるよう・・・。「再興」を修復ととらえれば問題はない。
なにやら複雑な事情が見え隠れ。

ともかく返信をしたためる。

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リハーサル

2014-07-05

佐野公民館での講座も最終回。
最後なので、あれやこれやと言いたいことも多く10分ばかり延長。

どういうわけかこのところ時間を守って話をするのが難しく思える。日頃の講義でも15分ほど残して終わってしまったり、あと10分しかないのにまだ話の後半に入ったばかりだとか。

話し終えてすぐさま出口に向かう人をみながら、時間はやはり守らないといけないと。
この分だと初心者のようだがリハーサルをしてから講演会に臨まないといけないような一抹の不安さえ感じる。

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発掘会社

2014-07-08

京都市下京区四条河原町で古銭がぎっしり詰まった備前焼の壺が出土。
これ自体は珍しいことではないが、収納状況がよく観察できる好例。

こちらが目を引いたのは「文化財調査会社『イビソク』関西支店」が担当していたこと。
(財)京都市埋蔵文化財研究所ではなかったのか・・・。

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贋作

2014-07-09

某所での席上、中国石仏の大判写真をみる。

とあるコレクションらしい。ご丁寧に正面・側面・背面の各写真。頭部周辺に大きな欠けがあり、壁面から削って取ってきたようである。ところが、背面腰あたりはよく形が残っている・・・。考えるまでもなく“贋作”。多くの作品も見れば見るほど怪しい。丸彫りながら背面に線刻がなかったり、それらしく造っていながらあるべきものがなかったり、素直につくればよいものの余計な造形がくっついていたりする。

贋作としても少しお粗末。
喜々として所有する分にはよいが、あまり人前に開陳するなよと思ったり。

ともかくよろしくない。教材だと割り切ってもいかがなものかと。

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評価

2014-07-10

『寺社の装飾彫刻』全7巻(日貿出版社)が完結。
武志伊八郎信由(波の伊八)や石川雲蝶なども掲載されているらしい。
こうした文にあって必ずといってよいほど登場するのが「仏教彫刻の衰退」。
全国に残るどれほどの作品を見てそう結論付けるのはわからないが、何かを評価するために何かを貶めるのは、もうやめたらいかがなものか。

寺社の装飾彫刻は彫物師が担当するが、彫物師は仏像も製作する。石川雲蝶も仏像を製作しており、“衰退した仏教彫刻”も造るが、卓越した社寺装飾彫刻も彫ったというのだろうか。重なり合う職域のなかで他方だけを貶めるのは理屈としてもおかしい。

こういう安直な評価が、仏像が盗難にあっても「文化財としての指定は受けていない」(新聞)と地域の文化財を粗末にしてしまい、人は見ることすら停止し「価値なし」と判断してしまう。

江戸時代の彫刻だと、どうしてこうも人は“色眼鏡”でしか見ることができないのだろうか。

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仁王像

2014-07-11

東大寺南大門仁王像が修理。
積もったちりやほこりの除去及び一部の浮き上がった彩色層の剝離留め等。

解体修理とは逆で、今回は阿形像から。風雨も入る野外でのこと、メンテナンスも必要。
こちらの齢と重ねつつ、まだ20年、もう20年もと思ったり。

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不信

2014-07-14

過日の「仏師左京」の返事が来る。

当該村での“聞き取り調査”で左京なる仏師はいないとの由。あとは東京と静岡の「左京」を調べるとも。当該村の仏師であるとの説明は信用されていないようである。はぁ~。

当該物件は仁王像。左京なる仏師は阿形像、送られた来た吽形像の写真(コピー)は不分明ながら地元の「彫工」の手によるもの。どう考えても地元タッグで仁王像を造ったとしか思えない。地元彫工と京都仏師や江戸仏師が組んで一対の像を造るか・・・と嘆息。そもそも、現代の“聞き取り調査”で江戸時代後半の在地仏師の存在なんかわかるはずはない・・・。

どう返事をだそうか思いあぐねていると、妙なことに気付く。仁王像の体勢が通常の阿形吽形とは逆。体勢も視線も外側を向いている。“魔改造”?
実際、見てみないと「再興」の意味がわからないが、地元の「左京」であるとの見解は変わらないだろう。

二信目となると、ちょっと億劫。

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新刀

2014-07-15

ゼミ発表で「日本刀」の発表あり。偏見ながら発表者は女性。
発表を聞きながら、「赤羽刀」やら「新刀」「新々刀」と言われても理解しているのはこちらぐらいかと密かに思う。

刀はどうやってできるのか、どこが見どころなのか、太刀と刀との展示の違いなどなどを話す。「刀にポンポンポンとするでしょ。あれは・・・」などと。

久しぶりの異色(の発表)。
紺色の袴姿だったので、もしかして剣道部?

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モノ魂

2014-07-16

過日のゼミでは、付喪神系の内容も。
煤払いで捨てられた古道具が変化して人間たちに仕返しをしてやろうという話。 モノに魂が宿るのではなく、人間も道具もあらゆるモノには魂が宿っており、時にそれが形を変えて魂ある姿を顕わすというようなことを述べたのだが、愛着あるモノには魂がこもり、モノはモノを呼ぶとも。

そうしたことが影響したのかもしれないが、急な話ながら月末には東京出張が決定。
もちろん日帰り。

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リニューアル

2014-07-18

若狭歴史民俗資料館が「若狭歴史博物館」にリニューアルし、今日からオープン。

いうまでもなく若狭は古い仏像が集中しているところなのだが、ひとつ解せぬモノがある。
平成2年に若狭に漂着した迦楼羅立像。台座の正面には「烏将軍」とある。

その後の調査で700年くらい前に中国で造られた像であることなどがわかったらしいが、700年前と言えば中国・宋時代となる。
事実、某展示図録では、13世紀・南宋時代と書かれているが、どうだろうか。

誰が調査したのか知らないが、この年代設定もリニューアルしたのかどうか、そちらも気になる。

今日から授業最終の週に入り、いくつかのレポートを回収。

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勉強不足?

2014-07-22

とある方より連絡をいただき「ハセさんの予想通りでした」と。

頭部が新たに補われている仏像。これまで頭部の補作は鎌倉時代とされてきた。かつて、その仏像を見たところ、鎌倉(時代)ではこんなことはしないような個所があって「江戸時代じゃないですか。ひょっとして(江戸時代の年号や作者のある別の)仏像と同じ時かも。」と述べた。
その仏像が修理となって、件の頭部内をみたところ、予想通り、江戸の年号と仏師名がみつかったと。

江戸時代の作品を鎌倉時代とみなすのは恥だが、鎌倉時代の作品を江戸時代とみなすのはまだまだ勉強不足といった風潮は今でも残っているのだろうか。
ともかく「恥」をかかずに済んだと安堵。

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浮世絵

2014-07-24

猛暑。春学期最終授業。「浮世絵版画」で〆。

もっといっぱい話したかったが、試験前のこともあってアカンかと。
そもそも「PAINTING」と堂々と喋るモノもいて頭をかかえたことがある。「PRINTING」!!
そうした調子だから、映像も見せてあれこれと説明もするのだが・・・。

「上方浮世絵」などで大阪の独自性を示そうとも思ったのだが、江戸の浮世絵でもって終了。
後は試験を残すのみ。

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鍛冶屋道場

2014-07-26

野暮用で京都。
帰りに龍谷ミュージアムへ立ち寄る。

龍大所蔵の「方便法身尊像」は蓮如による修復。裏書には「同(吉野)郡十津河野長瀬 鍛冶屋道場」の銘。現在の旧大塔村にあたる。あと薬師寺や唐招提寺、園城寺などの仏像も。
ガンダーラ仏はさすがに秀逸。

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フィリッポ・リッピ

2014-07-28

猛暑続き。

15世紀前半のフィレンツェ派を代表する画家 フィリッポ・リッピ(1406~1469)。
フラ・アンジェリコともども修道士ながら、なかなかの破戒僧。
若いころから浮名を流し、50歳ころにサンタ・マルゲリータ修道院の礼拝堂付き司祭に任命されたものの、同院の修道女ルクレツィア・ブーティ(当時19歳とも23歳とも)と駆け落ち。1457年頃には息子フィリッピーノも生まれる。

当然、破門されたもののメディチ家の当主コジモ・デ・メディチのとりなしによって彼らは正式に還俗し夫婦と認められた。

1460年代に描かれた《聖母子と二天使》のモデルは妻と息子。
名画中の名画。

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奇しくも

2014-07-29

猛暑続き。

神奈川へ出張。日帰りながら帰宅は23:30となかなかハードな1日。

とある画家に関係する人物に出会ったり、問合せが続いた後に、この出張が突如浮上した。
目の前に広げられた資料は、これまでの想像を超えた物ばかり。俺はそんな者ではないといわんばかりに。
資料を前にしてなんとなく再度検討、展示できそうな気配。

偶然だと思うが、今年は33回忌にあたる。再認識の年かも。

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この際、ばっさりと

2014-07-30

世界遺産姫路城:立ち木悲惨 切りすぎ? 批判受け中止 との新聞記事。
日本の城は、敵が隠れないよう城内に樹木が少ないのが本来の形とされ、全国の名城の中には伐採・剪定に取り組むところもあるが、姫路城は放置状態だったとの由。

どこかで聞いた話 と思ったら、有識者会議「樹木パトロール」に登場するご当人でした。きっと仰っているだろう「この際、ばっさりと!」
このまま放置すると、樹木の根が伸び石垣は崩れる、古木が台風で崩れるなどなど世界遺産の被害は大きい。

普段、遺跡の復元をはじめ築造当初の姿を維持すべきだとする市文化財課が「景観を損ねる剪定だ。大変残念な現状」と判断したのは拙速。
美観を守って世界遺産を(小)破壊してしまうのか、本来の姿を取り戻そうとするのか、いったい、どっちなんや。

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試験

2014-07-31

試験ディ。

ひとつは試験本部詰めだったのだが、担当者不在(本務校で出張との由)で試験監督。総勢300名が2教室に分かれての試験。
答案用紙はもとより問題用紙も回収との由でビビる。
試験開始後30分を過ぎると大方の受験生は提出。試験会場を退出できない10分前には全員が退出。問題は容易かったんだ・・・。

午後はこちらの試験。受講生60余名とコンパクト、問題数 25問と易しく作成したはずだが、10分前になっても約3分の1の学生が頑張る。
不思議。

明日からようやく夏休み・・・とはいかないのが昨今の大学事情。

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