日々雑記


暴走館長

2015-04-01

入学式。あいにくの雨。午後、辞令交付式へ。

このたび大学博物館館長を拝命(~H28.9)。
網干善教、薗田香融、上井久義、髙橋隆博、薮田貫の歴代文学部教授に続く6代目(道頓堀のグリコの看板も6代目)。いやがうえにも頑張らねばならない重職。

その後、展示場を見て回りあれこれと意見を承り、改善すべき点もいくつか見出す(というか、日頃見ていて気が付くところも多いが)。「伝統」は墨守するだけではだめで、日々新しい観点を取り入れて「改善・改革」がなければ、伝統そのものも瓦解するとは、理事長の今日の挨拶。

ぼちぼち取り掛かるつもりが、気が付くと館長室に座っておられずに展示場へ飛び込み徘徊する「暴走館長」。腰の軽いのだけがとりえである。
(館長が館長室にとどまるよう)皆様のご来室をお待ちしております〔事務室からのお願い〕。
今後ともどうぞ大学博物館をよろしくお願い申し上げます。

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堺市 土山窯

2015-04-02

快晴。新入生ガイダンス。サークルなどが「履修相談」と称して勧誘に励む。
マックやiPadなど持参して臨むが、基本はやはり自分の関心。関心のない科目ではサークルのボックスに足繁く通うばかり。

新入生と思しき学生も来館。関心をもってくれるとよいのだが。こちらも常設展示場を徘徊。須恵器のキャプションに「堺市 土山窯」とある。どこだ?と考え込むも器内部に記された墨書をみて氷解。「泉北郡西陶器村土山」。土山の三叉路のこと(ローカル!)かと。

その後、さっそく事務室で展覧会招待券を漁り、所蔵資料目録に目を通す。
仕事しぃや。

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西条

2015-04-03

次回の企画展は、現代美術家で本学OBの矢原繁長氏の個展(6月13日~7月18日)。
第6回吉原治良賞美術コンクール展、第6回昭和シェル石油現代美術賞展など数々の受賞歴を誇る。

矢原氏のアトリエがある新居浜に出向き、アトリエとパブリックコレクションのある西条市立西条図書館にて写真撮影。
その後、ギャラリーかわにし(オーナーも本学OB)でご挨拶と打ち合わせ。

当然のことながら、現代美術展は初めての経験なので、緊張することしきり。

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新居浜

2015-04-04

市内にて矢原氏の初期作品(未出品)を拝見。これ以外の作品はすべて焼却したという。その後、矢原氏との打ち合わせを済ませて“業務終了”。

昨日来の雨もあがったが曇空。そのまま帰阪するのも惜しく、四国八十八個所第64番札所の前神寺に詣でて祈願。

普段は、“仏像の首を抜いている”不信心者”だが、さすがに初の現代美術展の挑戦、展覧会の成功を祈らずにはいられない。

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スプリング・フェスティバル

2015-04-05

スプリング・フェスティバル。OB・OGが来学する「ホームカミングデー」。

博物館にも三々五々来館。今やOB・OGの記憶に残る建物と言えば博物館ぐらい。
「複写室はここ、ここ。ここが貸出カウンター、奥が閲覧室。」とおっしゃりながら入館。もとは図書館の建物。 開架式書架が今や展示ケースへと変身。年史編さん室展示室もあって、160名ほどが来館。

スタッフによると、例年300名ほどの来館者数だが、今年はあいにくの雨で、桜の法文坂を登ってくる人が少なかったとの由。
せっかくの桜も連日の雨で、はや落花盛んである。

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高野山中門

2015-04-06

第1学舎前には職員氏が立ち、迷える新入生に教室案内、教務センターはその他諸々の相談に忙殺。授業開始、お馴染みの光景。こちらも始まった・・・。

帰途、車中(南海電鉄)で同社PR誌を見る。メインは只今開催中の「高野山開創1200年記念大法会」。記念事業の一環として中門が再建。

中門二天像は、文化6年(1809)の中門焼失の折、救出された手と天衣を用いて、文化12年(1815)に塩釜浄而が再興、更に天保14年(1843)の中門焼亡で頭部などが損傷を受け、嘉永7年(1854)に川本右京康直によって頭部の補作及び修復を受けている。

このたび中門に安置される二天像は近世の二天像に加えて新たに広目天像、増長天像が製作され、四天王像として安置。
「四天王像揃い踏み」とするが、何が揃い踏みなのかちっともわからない。

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心の声

2015-04-07


さっそく”ミス”をしてしまい、若干落ち込んでの帰宅途中。
乗換え駅ビルには海遊館の吊り広告。

手描き文字コピーと横の女性(カップル)との対比が面白い。現実にはそのまま発声、大阪のおばちゃんへと変貌。
惜しむらくは「あなたは心の声を抑えきれるか」のチャッチコピー。これは要らんのではないか。

しばらく眺めながら、明日も頑張ろうと思う。

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初回ガイダンス

2015-04-09

深夜、久しぶりに末娘(大学生)と会話。
「今週(の授業)はずっと(初回)ガイダンスやわ。」
「へへ、こちらもガイダンス。もったいないから明日はいきなり90分丸々授業しようと思うねん。」
「えっ!ありえへん。鬼か、君は。」
「なんで?」
「ガイダンスはガイダンス。45分ぐらい聞いて終わるのがスマートなんやて。初回からがっつり授業したらまた評判ワルなるで。」

実は、3時間ほど前に「がっつり授業」のレジュメを準備したばかり・・・。
布団のなかで初回授業の展開を再考。

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戦国・安土桃山の仏像

2015-04-10

朝、新任の先生(日本史)のご挨拶を受ける。
挨拶のあと、先生曰く「ご参考まで聞くのですが、美術史の時代区分は今、どうなっていますか?」と。

「白鳳時代。これは今はあまり使いません。『飛鳥時代後期』が一般的ですね」。「藤原時代。これは大まかに『平安時代後期』と『院政期』になっています。博物館では『平安時代後期』と『鎌倉時代』に分けて使いますが」。
「桃山時代は?」「これは今でも使います。あまり『織豊期の美術』とは言いませんね」。
授業時間が近づき「これからもどうぞよろしくお願いします」と退室。

こちらもこれから授業。新任の先生が会話中、じっと見ておられた書架の一角を見る。あらっ。
『戦国・安土桃山の造像』『戦国・安土桃山の造像Ⅱ』展の図録。あわてて別の図書をみると、「室町・桃山時代」。

急ぎ教室に向いながら、画期はどこにあるのかと思う。

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プロバイダー

2015-04-12

事情あって自宅用のパソコンがもう一台必要とのことで、午後、大手電器店へ向かう。

機能、価格もそこそこの機種があって、店員(後でわかったのだが、某プロバイダーの説明員)に注文を乞うと、会計とは別のコーナーに導かれ、「今どちらのプロバイダーにお入りでしょうか」などとあれこれ説明し始める。むぅ・・・・。
適当に聞き流していたが、「今、加入していただくと最大5万円のキャッシュバックがあります」となおも執拗に説明。

3分ほど無言だったが、とうとうキレた。
「パソコンを買いに来たんで、プロバイダーの相談に来たんとちゃう。ここはそういう商売の方法をしてるんか!」
横で相談していた年寄夫婦もびっくり。こちらを見ている。
「いや、そういうわけではありませんでして、プロバイダーはどちらかと・・・」
「プロバイダーを替えると、今使ってるメールアドレスも使われへんのとちゃうんか。」
「そういうことにはなりますけど・・・。」
周囲の人々の視線を受けて(もちろん買わずに)退店。

車を走らせ、他店で同機種を購入。ウィルスソフトのお奨めがあって同時に購入したが、これが普通の売り方。

ややこしいところに人を立たせて、人を騙すようなややこしい説明をさせるな。

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河内国分寺

2015-04-13

とある研究者から仏像の調査概要と考察を踏まえたレポートをご恵贈。

江戸時代の仏像(秘仏)と10世紀末と思われる薬師如来坐像(客仏)の報告。
慶応2年の「薬師如来之由緒之事」によれば、法隆寺本尊薬師如来と同木の像で、河内国分寺の本尊であったとする。 額面通り受け取れば、「観念の同木」で法隆寺講堂薬師如来像と同じということだが、気になるのは河内国分寺の本尊。

河内国分寺は、今は凝灰岩切石積みの塔基壇や塔心礎が残り整備されているが、いったい何時まで存続していたのかについてはあまりわかっていない、というか塔跡以外の金堂・講堂などの存在は発掘調査していないので場所すら明らかではない。
「薬師如来之由緒之事」によれば応永の頃に戦火を逃れて移坐したとするが、もしも真実ならば応永の頃まで河内国分寺が存続していたと考えられる。
各地の国分寺がいつまで存続していたのか、たいへん興味深い。

ご恵贈に感謝。

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白鳳

2015-04-15

あぁ~、だめじゃん。
 先日のやり取り できっぱり否定した「白鳳時代」。奈良国立博物館の夏の特別展で堂々と使用。
「白鳳美術の魅力」などとも謳われている。
一応「美術史学を中心に用いられてきました。」と注釈入りだが、かなりの確信犯?とみた。

大昔にも記したことだが、「白鳳時代」は日本では「飛鳥時代後期」とするが、英語表記では「Early Nara or Hakuho period」とする(THE GREAT AGE OF JAPANESE BUDDHIST SCULPTURE キンベル美術館)。少々古い文献だが、「白鳳」を飛鳥時代の枠組みでとられるか、奈良時代の枠組みでとるかで、見方が大きく変わる。

また「新羅をはじめ朝鮮半島の国々との交流は毎年使節が往来するなど盛んであり、大陸の先進的な文化がもたらされました。」とあるが、これもまた首をかしげてしまう。
660年には百済が滅亡し、多数の百済遺民が日本に亡命、661~663年には「白村江の戦い」が起こり唐・新羅軍が大勝、672年には壬申の乱があり、日本は内外ともかつてない緊張感に包まれていたはず。
それを知っての「大陸の先進的な文化がもたらされました」では、「美術史はお気楽やね」と烙印を押されてしまいそう。

かつて長い間行われた「白鳳論争」を再燃させるつもりなのだろうか。

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脚下照顧

2015-04-16

全学共通教養科目。

かつては「こら、静かにせんか!」と強面で臨んでいたが、裏サイト(関西大学 長谷洋一先生の授業評価)のおかげもあって受講者も減り、めっきり静かになってこちらも気をよくして授業。終了後、質問に来る学生もおり、ついレジュメに手を加えて質的充実を計るまでに。

先日も某社のI部長(長期在外勤務経験あり)と雑談していたが、「グルーバル化」のなか、外国で自国の文化や歴史が語れないような人は軽蔑されるという話をされ、こちらは「身近にありすぎて気が付かないだけじゃないですか」と言ったが、部長曰く「それは逆。足元もわからないのに、外がわかりますか」と。
確かにそうだが、そういうことは全国どこの大学でも絶対に許さない。

別れ際にI部長曰く、大学とは不思議なところですねぇと、しみじみ。

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ドタバタの「花金」

2015-04-17

あいかわらずバタバタ。

授業準備が悪く早朝から大学。なんとか午前中の授業を無事済ませて、ようやく昼のひと息。
ぼぅとしていると、午後の会議開催に気付いて駆け込む(遅刻(涙))。

会議終了後、夕刻からの授業のため、博物館に卦算(ガラス棒)を借りに行くと、職員氏曰く、「センセ、広報課が(センセを)必死で探していますよ」。指名手配犯?
研究室に戻り広報課へ連絡すると、在阪某テレビ局からの取材依頼。承諾してすぐさま、某テレビ局から電話があり、しばし対応。
受話器を置くなり、(前の)授業終了のチャイム。
再び、卦算、絵巻物(複製)、レジュメ等をもって教室へ駆け込む。

帰途、車中では「花金」サラリーマンが赤ら顔でご機嫌。よろしいなぁ。

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伝 長谷川等伯

2015-04-20

朝から在阪某テレビ局の取材。

ここをUPする頃には報道解禁になっているが、個人宅から見つかり修復をしたうえで京都造形大学が購入した長谷川等伯筆とみられる「松竹図」「猿猴図」二曲一双の屏風。過日の取材では所蔵者など伏せられていたが、今、記事を読むと、所蔵者と寄託者とを取り違えた情報が与えられた(「ビック・ネームの絵画を購入できるほど、えらく裕福な地方自治体があるモノですね」と過日はコメント)。

取材直前、ようやく解禁前の資料をちらっとみせられたが、確かにビッグ・ネーム。右隻は牧谿猿、左隻は出光美術館「竹鶴図屏風」の竹によく似ている。

で、取材内容は資料には「伝長谷川等伯」とあるが、この「伝」とは何か?という説明がほしいとのご要望。
個人所蔵で「雪舟」の落款もあるが、限りなく贋作に近い作品を美術館などでやむを得ず出品する場合は「伝雪舟」、複数の専門家が調査研究したが、まだまだ議論の余地が残る場合にも「伝雪舟」、専門家の議論も出尽くしたが、結果的に筆者比定の判断が分かれる場合も「伝雪舟」。ひと口に「伝」といってもその幅は広い。今回のケースは2番目にあたると思われるではないかなどなど。

一生懸命、説明したが、今になって思うと、専門外の者に情報を秘匿したままコメントをもらおうとするのは甘すぎるのではないだろうか。

でもなぜ、こちらに話が回ってきたのか今でも不思議である。

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無趣味

2015-04-21

お昼休みに「博物館運営委員会」が開催。
もちろんお昼のお弁当よりも議事進行。年度当初なので、多くの審議・報告事項があったが、特に問題等はなく無事に終了。ほっ。

関係者一同、遅いお昼を頂きながら、話題は私(わたくし)コレクション。
「センセは何かコレクションされていますか」と。首を横に振る。
とある方が、食玩フィギュアに魅せられ?、近所のスーパーで“大人買い”をして傍で買おうとしてた子供を泣かせたとかの話を聞く。

私の趣味はなんだろうかと時折考えることがある。さて?
周囲が定年に近づくこの頃、本気で趣味を探さねば余生は暗いのかも・・・。

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呑兵衛の言い訳

2015-04-22

通勤途上に松尾剛次『破戒と男色の仏教史』を再読。

鎌倉時代、東大寺学僧で、文応元年から3年間(1260~62)東大寺別当にも任じられた宗性(そうしょう)。彼の誓い(起請文)を綴った『禁断悪事勤修善根誓状抄』(正嘉2年・1258)をみると、断酒への絶ちがたい思いが伝わってくる。

文暦2年(1235)6月10日の誓い(宗性34歳)
休息の時分のほかは断酒・不淫ならびに囲碁将棋など一切の勝負ごとをすべきではない。
〔休息の時ぐらい酒飲んでもええやん〕
その10日後。
今日より千日間の禁酒を誓う。ただ飲酒の習慣(薫習)は久しく、全面的に禁酒することは容易いことではない。(酒は)病患を直さんがために良薬として用いるので〔?〕六時念仏の間、三合までの飲酒を許すのである。
〔あらっ〕
仁治4年(1243)元旦の誓い(宗性42歳)
12歳の時から昨年の冬まで酒を愛して飲みすぎ、酔っては狂乱していた。このことは深く反省すべきで「自今以後、尽未来際(永久)」に禁酒することを誓う。
以後、禁酒に成功したかどうか。

宗性が57歳の時にまとめた『禁断悪事勤修善根誓状抄』も断酒の誓いが実行できなかった反省文集としてみると、未だ禁酒していないように思える。
確実に呑兵衛の言い訳である。

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続 徹夜

2015-04-23

今学期も こういうこと になろうとは・・・。

確か10:00頃には大学に到着していたはず。
しかし、なぜか仕事が限界点に近づき、夕刻には早くも限界点越え。
ひと息ついて、夜も頑張るがタイムリミット(終電)突入。
やむを得ず夜明かし。
やっぱり処理能力の欠如なんだろう。

気になっていた仕事もひと段落し、朝方、ソファーで仮眠。

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尺寸の余地なし

2015-04-24

“お肌に悪い”9時から会議。その後授業、会議と続いて博物館講演会。

大阪商工会議所人材開発部次長(大阪企業家ミュージアム事務局長)の興津厚志先生による「あれも大阪、これも大阪-栄養菓子グリコ、日本初ウイスキー、世界初ターミナル百貨店etc.-」。
そこで館長挨拶。自身が講演するのとはちょっとわけが違う。

講演を最後まで拝聴し、いくつかの質問も出て、講演は無事終了。なんとか最後まで拝聴して、今日最後の授業へ向かう。
テンションが「お疲れハイモード」になって熱い授業。済んだ後はぐったり。

今日はもう帰ろう。

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仏像ファンの嘆き?

2015-04-25

通勤途上、車内で「平成27年度春季 京都非公開文化財特別公開」(4月29日~5月10日)の広告を見る。

上賀茂神社以下19社寺が参加。そのうち仏像系は廬山寺、金戒光明寺山門、知恩院方丈、東福寺三門、當麻寺、西念寺、東寺五重塔、仁和寺金堂、妙心寺山門の9ヶ寺。

廬山寺如意輪観音半跏像(鎌倉)、山科當麻寺阿弥陀如来像(平安末~鎌倉)、西念寺阿弥陀如来像(鎌倉)、東福寺三門諸像以外、全部江戸時代の仏像。知恩院では昨年度、重要文化財指定となった徳川家康坐像、徳川秀忠坐像も。
仏像ファンはさぞガックリするのか、はたまた非公開文化財の特別公開ということで、名品と思うのか・・・。

現地解説を任された学生アルバイトもこりゃ、たいへんと思っているだろう。
(たぶん、非公開文化財で特別公開なので「貴重なんです!」と闇雲に絶叫調となるのかも)

まぁ、近世の彫刻、殊に室町から近世の釈迦如来像十六羅漢像を考えるのには、よい機会。
暇を見つけて、連休中に行ってみるか。

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ネパール大地震

2015-04-26

ネパールで大地震。

見知らぬ土地ではないだけに心配。カトマンズには大きな被害が出ているだけに、明るい笑顔の通訳やドライバー、宿屋の主人は無事だろうか。
ダルバール広場もほぼ壊滅との由。エベレストも雪崩が発生したということから、ほぼ全土で揺れたものと思う。

耐震建物といっても、毎日長時間の不規則な停電、細い路地が町を巡っているような、日々の生活でいっぱいいっぱいで、耐震どころではない。
朝日新聞では、「『地震の巣』で、以前から大地震の発生が懸念されていた」とし、1934年の大地震や国連人道問題調整事務所(OCHA)の対策会議や日本も以前からネパールでの地震対策支援を続けてきたことを述べ、悪いのは(聞かなかった)ネパール国と言わんばかりの上から目線の報道。実情を知らぬ無知蒙昧ぶり。

山岳地帯も道路が寸断されており、非常に気掛かり、心配である。

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熊本行

2015-04-29

朝から熊本へ。久しぶりである。
県立美術館にご挨拶のあと、「細川茶わんまつり」展を拝見。
細川家には重賢の指示で編さんされた『茶入茶碗写真帖』や『御参勤江戸御持遣』が残る。前者は細川家だけでなく家臣などが所蔵の茶碗も図入りで登載。後者は宝暦13年から文化12年の間、江戸参勤の折に持参した茶碗などのリスト。両者と細川家伝来の茶碗を並べての展示。『御参勤江戸御持遣』には茶碗のほかにも狩野洞春や狩野洞白の絵画も。
江戸に持って行ったが、江戸止まりとなった茶碗やそもそも両書にない名碗もある。家臣所蔵の茶碗は(雰囲気を察してか)その後細川家に献上。

その後、山鹿市の康平寺へ。
山間の修行場に10世紀の地蔵菩薩像や鎌倉時代の十二神将像、千手観音像。

帝釈天像と満善車王像には正和元年(1312)10月日の院主禎久の「彩色供養」の墨書銘があるほか、東方天像には寛政元年(1789)の再興銘もある。満仙王像、摩睺羅伽王像は文化2年(1805)の補作。江戸時代の作とする2躯の天部像もその頃の作例か。鎌倉時代の作例を一生懸命に模刻した痕跡がありあり。

夕刻、A氏と久闊を叙し、崇城大学のN氏を交えて一献。終始仏像談義。

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調査

2015-04-30

本日がメイン。
A氏をはじめ熊本県美の方2名、熊本大学から2名、日通2名、関係者2名の大所帯で、市内某所へ。
詳細は憚られるが、少し難しかった調査。

たいへん恐縮されていたが、こちらもこういう機会がない限り、おそらく生涯見ることができない作品で、ありがたい限りである。

明治の神仏分離は凄まじい。神仏習合の寺院は悉く基盤を失い、とり潰されて現在はほとんど廃寺状態。現地に立っても寺の痕跡を全く遺していない。僅かに明治以降に建立された「○○寺址」のみがもと寺であったことを伝えるだけである。
すがすがしい新緑のもと夕刻近くまで調査。
その後帰阪の途に。

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過去ログ