日々雑記


広報ふたつ

2015-06-02

大学博物館で6月13日より「矢原繁長展―直観―」が開催。博物館初の現代美術展。
作品を見てどう感じるかは、ご覧なられた方のそれぞれ。もちろん解説パネルもなし。正直、不安いっぱいである。
矢原氏が作品や現代美術を語る講演会は
6月20日(土)14:00から。

もうひとつ。「博物館実習実践研修会」。
第1回目は「表装研修」。6月22日(月)13:00~14:30。講師は藤枝宏治氏。
大阪老舗の表具屋さんである藤枝氏に「掛軸、巻子、額、屏風」が傷む原因と修理を必要とする判断基準、そしてどのように修理され表装されるのかについてお話しいただきます。
材料等も紹介しながら、実際に傷んだ掛け軸を解体して修復していく作業を披露します。「掛軸、巻子、額、屏風」の保存にも触れていただくつもりなので、掛軸をご所蔵の方必見の企画。

第2回は「日本刀研修」。6月27日(土)10:00~11:30。刀匠である河内國平氏・河内晋平氏が日本刀の歴史や魅力などについてお話されます。
実際に刀剣を手にして鑑賞の仕方や手入れ、取り扱い方法を学びます。実際の刀剣を手にしての講習なので、その筋の方はもちろん、刀剣マニア垂涎の企画。

第3回は「煎茶研修」。7月9日(木)13:00~14:30。佃 一輝氏・佃 梓央氏が江戸中・後期に流行した煎茶会を実際に体験しながら軸の絵や詩を読み解く文化を体験していただきます。就活生ワンランクアップの機会でもあり、余生を風雅に暮らしたい文人(聞人)指向の方にお勧めの企画。
こちらは3回講座ですが、現実的には平日にも開催されますのでご都合により欠席も可。

共に無料(もちろん入館無料)。
「講演会」、「博物館実習実践研修会」ともにお席にまだ余裕がございます。
詳しくは こちら まで。

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インスタレーション

2015-06-04

昨日より矢原展の展示作業。
とはいえ、矢原氏本人がもっぱら展示し、こちらは展示台に布を巻くなど補助的作業。もちろん授業の合間を縫って作業なので中断する事しばし。

博物館にとっても初めての現代美術展、矢原氏にとっても博物館での展示という初の試み、お互い火曜日の夜は眠れなかった。
コンセプトも決まり展示作業に移る。
基本的に”博物館資料”にしか見慣れていなかった職員氏、スタッフも驚きの声。「館長が変わると(展示が)こうも変わる」などと。
あと少しで、先が見えそうな塩梅。

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古保利薬師

2015-06-06~07

知人より「古保利薬師を見に行きませんか」とお誘い。広島駅より知人の車に乗って小1時間。

収蔵庫には本尊薬師如来坐像をはじめ数々の平安初期の仏像が並ぶ。ただ有名な作品の割に地方仏といった範疇から抜けていないのが実情。作品が誕生した契機やその伝播などはまったく問題の埒外。「いわば孤例なんですよ」と知人。
確かに本尊周囲に居並ぶ一木彫の作品は紹介があるものの本格的な論考は全くみない。
「臂釧の形が違うでしょ(日光・月光)。」「そうですね。時期は・・・」、「十二神将像はこれとこれは明らかに(1セットとは)違いますよね」「なんか集めた感じですよね。」
こんな感じでゆっくり見学。

翌日も案内されるままに古い仏像を見て回る。いくつかの仏像は言われている製作時期にやや不満が残るものの、これまで見落としていた点や知らなかった仏像を拝見することもできたが、「なぜ、一緒に平安初期の作品を見ましょう」と誘っていただいた動機がまったくわからない。
江戸時代の仏像は片鱗すらない。不思議・・・。

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田中利常

2015-06-09

五十嵐公一氏「展覧会評 昔も今も、こんぴらさん。」(日経新聞)。

金刀比羅宮表書院の円山応挙筆障壁画。豪商三井家が障壁画の経済援助をして完成したのだが、斡旋は仏師の「田中(弘教)利常」。
記事にもあるように田中利常の娘(幸)は応挙の子 円山応瑞の妻である。そればかりではない。幸の妹(ゑん)は森徹山の妻となり、円山家と森家とは田中弘教家を介して姻戚関係にあったことが知られる。徹山の男子二人(蔵之丞、進之丞)は田中家に養子にやり、徹山の娘(柳)の婿として一鳳を養子に迎えている。養子にいった進之丞は田中浄慶と呼ばれた仏師である。
もとよりこれらの関係は金刀比羅宮から誕生したものである。

不思議な結びつきがあるものだと思う。

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全国博物館長会議

2015-06-10

朝から文科省横の講堂にて「全国博物館長会議」に出席。この類は好きではないが歴代館長が出席しているとのことで・・・。

北海道から沖縄まで400名弱の関係者が参加。「博物館」といえども美術館、歴史系博物館、大学博物館、水族館、植物園、動物園と分野も幅広く、それで何かの方向性が示されるというわけでもない。

午前中、文科省及び文化庁の行政説明があり、引き続き主催者である日本博物館協会の総会(?)。

興味深かったのは少ししか触れられなかったが、「登録博物館制度の問題」。
博物館は博物館法に基づいて「登録博物館」「博物館相当施設」「博物館類似施設(その他)」に分かれる。うちの大学博物館は「博物館相当施設」である。実は全国各地の博物館の8割近くが「博物館類似施設」である。「登録博物館」は、地方公共団体や所定の法人が設置し、①必要な博物館資料、②学芸員その他の職員、③必要な建物・土地、④年間150日以上の開館が要件とされるが、固定資産税の減免や公立博物館の国庫補助などメリットはあまりない。博物館法の規制外にある東京国立博物館や京都国立博物館、奈良国立博物館、国立西洋美術館は「登録博物館」でない。国立館の学芸員といえども学芸員資格は要らない。

博物館法というもの自体が形骸化し現実とは乖離しているような状況を改めて知る。
夕刻は「情報交換会」が開かれる。これを楽しみにしている方も幾人か。

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展示作業終了

2015-06-12

夕刻、展示作業終了。

初の現代美術展がいよいよ始まる。しかも昭和3年に竣工した建物内で。
キャプションも解説もない異様な(異常な)展覧会。

同じ作品が高級ブティック(ルイヴィトンなど)のショウーウンドウで展示されていたら人は評価するだろう。でもそれは本当の作品評価ではない。場所や言説によって評価しているだけである。作品を正しく見るということには繋がっていない。

正直、大盛況になる展覧会だとは思っていない。大阪という美術の風土が育たない土地がらもあり、また現在の学生も関心があるとは思えない。冗談だが、各作品に評価額を添えたら見てみようという学生が多く出てくるのも事実。
大阪(関大)の風土が計られる展覧会である。

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スマホノート

2015-06-13

教授が板書する内容を、ノートにメモらずスマホの写真で済ますのはアリかナシか という話題。

某学部では、レポートの課題を板書すると、教室一番奥の学生がつかつかと教壇前にやってきてスマホでパチリとやる。
こちらは美術史ゆえにスライドを使うので、授業のいくつかは、あらかじめスライドリスト(1頁6コマ割)を印刷し、板書する内容のレジュメと共に配布する。学生はそこに書き込み。

授業評価で「板書してください」と書く学生もいるが、無視している。
だいたい丁寧に板書する会議など見たことも聞いたことも、経験したこともないし、たいてい板書するのはマルチ商法など怪しげな企業。そんな会社に憧れているわけではないだろう。

展覧会初日、まあまあの入館者。

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御用

2015-06-14

大学の御用で某県某所。はるばる山間の町まで。車窓からは早くも川に入っての鮎釣りの光景がちらほら。初夏である。

話題はなぜか北前船。
冬の荒れる日本海を避けて、秋から春先まで北前船は大坂に停泊。北前船のピークは幕末から明治初期にかけてとの由。
こんな山間で北前船の話で盛り上がるとは意外であるとは同行者の弁。

ふたつの打合せが終わって、夕刻、帰阪の途につく。

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プライスでもドラッカーでも

2015-06-15

もう、何でもよい、在外日本美術コレクションならば。

若い学生を相手にしているだけに余計にそう思うのかもしれないが、日本美術作品に関して、当の日本人がその魅力を理解しようともせず、関心もないことに普段は恥ずかしいとも思わないが、いざ「里帰り」「在外日本美術コレクション」展となると、無批判的に高く評価する。それって浮世絵流出の状況と一緒じゃないか。欧米人の評価に追随し、多くの日本人が自国の美術作品にまったく見る眼がないことを対外的に表明している。
室町期の水墨画といういかにも地味な世界だが、ドラッカーというフィルターをかけると万人にとって名作になる。
もう抗うのはやめよう。自国であれ他国であれフィルターなしで作品の価値がわかる者だけが、通じればよいだけのことである。

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たぶん、疲れている

2015-06-16

と思う兆候がいくつか続く。

某県某所での出張。
某県ターミナル駅でタバコを買おうと、小銭入れを見ると二百数十円。鞄の中を探すと財布がない・・・、昨夜、財布を取り出してそのままの状態。
あっ、と青ざめ、必死でATMを探す有様。幸いATMを見つけて現金を引き出している間、切符を買ってはいたが、よく無一文でここまできたものだと妙に感心。
ターミナル駅でよかった・・・。

帰宅後のビール。
飲みながら新聞を眺める。最終紙面まで読み終わり、夕食。そこでおもむろに冷蔵庫の扉を開け、2本目突入。
食事も済み、後片付けをしている家人から「要らんかったら、呑むな」と小言。
えっ?と差し出された缶(1本目)を持つと、まだ半分以上飲み残している・・・。

たぶん、疲れている。

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取材

2015-06-17

午前中、FM千里の取材(博物館)。

レポーターの馬場章夫氏は、20数年前の展覧会で一度取材を受けている。その折の事をお話しするとよく覚えておられ、しばらく博物館そっちのけでチベット・ネパール談義。
博物館の概要と歴史を紹介した後は、学芸員氏が対応。取材内容はこちら

どうも夏風邪を引いたようである。用心のため早い目に帰宅。

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ムサビの近代彫刻

2015-06-19

武蔵野美術大学美術館「近代日本彫刻展」が開催中。

普段なら一瞥するだけで終わるのだが、7月17日(金)、18日(土)開催の国際シンポジウムに心揺れ動く。
「仏師の系譜-江戸から明治へ」や「『ほりもの』のリアリズムと距離感」などは、近世の意識なくしては語れない内容である。
従来、この類のシンポジウムは、廃仏毀釈、西洋彫刻の登場、はい、明日から近代という一夜にして昭和から平成に変わったかのような論調に終始していたように思えるのだが、近代彫刻誕生の基盤(母胎)なくしては近代は語れまいと思っている。
ようやく近世の終焉を踏まえた議論が始まろうとしている。

展覧会の出品はあいかわらず森川杜園から。清水隆慶《髑髏》(など展示する)までにはまだまだ時間がかかりそう。

金曜日、授業(日本彫刻史)もあるが悩むところである。見学会に振り替えるか・・・。

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講演会

2015-06-20

午後、矢原繁長氏の講演会。

アヴァンギャルド(純粋芸術)とキッチュ(エンターテイメント)を切り口に文学、絵画、音楽を例に人間存在の深淵に迫る。通常の理性や感性で捉えることのできない「聖なるもの」の存在に触れ、常に「気晴らし」に終始している者などには「聖なるもの」を体験できないとする。絵画を観る時に、無垢な気持ちで向かうのと「価格、作家の有名・無名」などに囚われてばかりいる者には、「聖なるもの」を受け入れるための「装置」として機能しないのである・・・。

よい内容だったにも関わらず、タイトルが堅かった(「物質:理性と感性の距離」)のか、聴衆は少ない。関大よりも矢原氏とゆかりある甲南大学から学生が来ていたのは驚き。

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セクハラではない

2015-06-21

久しぶりの休日。しかしながら町内会(自治会)で消防訓練の一環として救命処置講習会。講師は地元消防署の救急士。
心肺停止になると、概ね7分で死に至る。残念ながら地元消防署から拙宅の集合住宅まで出動しても10分はかかる。間に合わんのである。

倒れている人にまず「大丈夫ですか」と反応をみる。なければ119番通報とAEDの要請。「誰か来て~!」では人は来ないのでそれぞれ個別指名。
そこで胸骨圧迫(心臓マッサージ)。人工呼吸ということもあるが、嘔吐や吐血など条件次第では特にお勧めではないらしい。なによりも心臓マッサージ。「強く、速く、絶え間なく」1分間に100回。そこはプロ。不謹慎ながら「もしもし亀よ、亀さんよ~」と呟きながら胸骨圧迫すると100回/分。人工呼吸の場合はハンカチ、マスクなど感染予防のためガーゼ類が必要。

AEDが到着すると、AEDをONにして上半身を裸に。えっ? やはり質問あり。「(傷病者が)女性の場合、セクハラと思ってしまいがちですが・・・。」と。しかし、講師(救急士)はきっぱり。
「人命が大事ですか?それとも一時の恥じらいのほうが(眼前の命より)大切ですか? 命の恩人にセクハラされたとは誰もいわんでしょう」。ふとみればAEDのボックスにはハサミ(衣服を裂くため)や脱毛パッド(剛毛剃毛用)も入っている。
心臓を挟んで電極パッド。AEDは自動的に心電図の解析を始め、心臓マッサージは一時停止。「ショックが必要です」と音声ガイドがあれば周囲の人を離れさせてスイッチオン。
そして再び心臓マッサージ。2分後には再びAEDの自動心電図解析・・・。

取扱い講習の後、10分間の体験バージョン。
かなりハードだが、万が一の時には慌てふためくことなく対応できそうな気がする。
有意義な日曜日。

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表装

2015-06-22

午後から「博物館実習実践研修会」(表装研修)。
参加者は学生、近隣博物館の学芸員、本学教員、一般市民など。
解説を交えながら伊東深水《花卉図》を眼の前で解体(事前に膠留めあり)、肌裏紙を除去する段階まで。
解体すると、どういう構造になっているのかが一目瞭然。つまりどこが、なぜ傷むのかがよく理解できる。表装と本紙(画面)は表裏一体。風鎮を使うような掛幅などはもってのほか。

気になるのは、様々な表装用具の行方。紙しかり、刷毛しかり、裂しかり。どれもこれも現状、絶滅危惧。もう20年もすれば枯渇。表装が高くなるのも無理はない。

研修会を終えて授業。芝生を行き交う学生にとっては無縁な世界である。

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肥満の猫

2015-06-24

午前中、あべのハルカス美術館「昔も今も、こんぴらさん。」へ。

屏風、襖絵等あって43件の展示。仏像は十一面観音像1躯のみ出品ながら、お目当ては絵画。

円山応挙《遊虎図》襖。(チラシより)
ポスターにも登場するがどう見ても“肥満した猫”である。事実、応挙は実際の虎は目にしたことがない。虎をいかに写実的に描くかを苦心。虎で有名な岸駒も、寛政11年(1799)に中国(清)の唐啓暉から虎の頭部、前後の脚を取り寄せて、写生している。中には斑点のある豹(ひょう)も。当時は豹は雌の虎とされていた。画面端に描かれたホワイトタイガーのような虎はなんだろうか。

後は若冲《花丸図》。花卉を描きたかったのか、葉に広がる虫食い穴や斑点を描きたかったのか…。同時期に描かれた動植綵絵にも虫食い穴や斑点。 岸岱《陵王図》衝立や冷泉為恭の小襖、田中訥言の写生図、由一の“焼き豆腐”や”桜花図””なまり節”など総じて絵画は多彩。

見終わってから大学へ。

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竹内右門

2015-06-25

事情あって竹内右門についてしばし熟考。

京博本『大仏師系図』は、明治33年(1900)6月に8代目竹内右門が帝国京都博物館に寄贈したものである。系図には「賢慶 禁宮法橋 竹内氏 五世」とあるのが最後。7代目は「七世重賢」と名乗る。福岡・東長寺町人坐像(天保15年・1844)には「大仏師竹内右門/法橋賢慶/同左衛門」とあり、6代目は「左衛門」。
遡って初代竹内右門を考えると、京都・円隆寺薬師如来坐像の修復(寛政2年・1790)銘には「大仏師竹内右門/同苗専之進/康海/丸幸」とみえ、この竹内右門が初代と思われる。以後、「専之進」が2代目、「康海」が3代目、「丸幸」が4代目となって5代目賢慶に続きそうなものだが、そう簡単ではない。
滋賀・井伊神社の井伊家歴代の肖像(文化5年・1808)には「竹内右門/康政作」とあって康政の位置が不分明。「丸幸」が「康政」なのか・・・。

当たり前だが、系図はそのまま遡ってはいけない。東寺定慶が五世竹内右門に系図を譲与しただけである。

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講座

2015-06-27

朝から「博物館実習実践研修会」(刀剣研修)。
体内時計が授業モードなのか、関大前駅に着く頃、博物館から「予定通り、博物館実習実践研修会が始まりました」と電話連絡。10:30からじゃなかったのか・・・。 10分ほど遅刻。
まずいことに理事長も研修会に参加との由。

常連の参加者もあり、刀剣の時代変遷や刀剣の製作法など・・・。班に分かれて講義と取扱い。遥か昔、「赤羽刀」放出による第1回美術刀剣取扱講習会で修了証まで頂いたのだが、内容はきれいさっぱり忘却の彼方。講義では他では聞けぬ話題も出て、忘れ去った内容も甦る。

12:00近くまで参加し、急ぎ佐野公民館へ。恒例となった「仏像の話」。
今回は最近、御縁のある肖像彫刻。今度はこちらが他では聞けぬ話をいくつか披露。
夕刻、帰宅。

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相談

2015-06-28

とある方に相談事があって、文化財保存修復学会が開かれている京都工芸繊維大学へ。

京都北山はさすがに遠い。着けば、午前中の発表が終わったところ。受付あたりで探していると、偶々、見知った方々と雑談されている方を発見。ところが委員会があるそうで、他の研究者と学食で食事しつつ待機。
学食では以前お世話になった方々もおられ、久闊を叙しながら昼食。

しばし雑談の後、委員会の終わられた方とお会いし、資料を渡して相談。とある方もこちらへ相談事。

相談を終え、梅雨も明けたような夏空のもと京都を後にする。

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せんたく

2015-06-29

昨日の雑談でのこと。

今、仏像を仏師屋さんへ修理に出すと、たいていは金ぴかになって戻ってくる。その修理過程に「おせんたく」「洗い」といった工程がある。
昨日の雑談では、ガレージの隅でホースから水を出して洗っているブログを見たという。ブログの写真では台座裏に「大仏師・・・・」と読めたのだが、完成した折にはもう読めなくなっていたと(の嘆き)。

よくある話であるが、ふいに「せんたく」という言葉は近代以降(の言葉)ですよね、とこちらに振られた。 しばし、むぅ…と記憶をたどると「せんたく仕」という語句が浮かび、江戸時代後期からありますよと返したのだが、「『せんたく』も歴史用語なんだ」とプチ盛り上がり。

今日、確認するも「せんたく仕」と記載のあった書籍が思い出せない。難渋しているうちに類似資料を確認。
小田原市南鴨宮の日蓮像。台座には「三宝四菩薩せんたく洗」「祖師 彩色 鬼子母神彩色也」とある。安政6年(1859)の銘。

もっとはっきり記してある銘記があるはずなのだが・・・、思い出せないでいる。

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百姓にも歴史はある

2015-06-30

歴史学者の中村吉治が平泉澄に卒論指導を受ける際に「百姓(農民)の歴史をやる」といったら「百姓に歴史はありますか」ということで蔑まされ、詳しく聞こうとしたら、豚に歴史はありますかとたたみかけられた話は有名。

20年ほど前、似たような話が美術史(彫刻史)にも存在した。
日本彫刻史において室町以降の仏像は、ごくわずかな例外を除いて、そのほとんどは美術作品として通用しない。それらは芸術的な密度が極端に乏しく、彫刻もどき(原文傍点)の立体ではあっても「彫刻」ではないからである。美術史は、いうまでもなく作品の「美しさ」が研究の対象であるから、従来の美術史が江戸仏像を相手にしなかったのも当然である。江戸仏像を含む地元の文化財に注目して、それらを調査し報告しようとする動きは、別な意味で大事なことであるし、それに文句をつけるつもりはまったくないが、最近の仏像研究の進展と広がりが、もし江戸仏像を美術史の一部として錯覚するとしたら、これは問題である。地方史のひとつの資料として、また、仏教信仰史や仏教民俗学の問題として、また江戸仏師を職人史として取り上げるのならばともかく、これは彫刻史(美術史)が対象とすべき課題ではない。地域の仏像の悉皆調査などで大量の江戸仏像を相手にした後の疲労感はなんともいいようのないもので、そうした時、私はこれに従事した学生や後輩たちに対して「奈良か京都に行って目を洗って来い」と、いつも言っている。
こういう文章を大学の研究紀要に掲載するとは、研究者としての見識を疑わざるをえないが、これに従事した学生や後輩たちを初め、そう思う人たちがいることも確か。

知人のつぶやきを読んで、ふと思い出した。

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