日々雑記


御社が第1希望

2016-06-01

本日から就活解禁。

朝遅くに出勤したからか、大阪・本町あたりでもリクルート姿の学生は少ない。先月・先々月のほうが多かったような気がする。今日、来社すれば「内定」を出すといった会社も聞く。

以前、採用担当を任された卒業生(ゼミ生)が来室し、「もう嘘つくのん、いやですわ」と愚痴をこぼしていったことがある。
「『残業は月に2~3回、土日は完全週休2日です』と説明会で言うものの、説明会が終わって帰社して報告書を書いて、明日の準備はどうすんねん(怒)!」と言う。

まぁまぁとなだめつつ、「当の学生も『御社が第1希望です』って、あっちこっちで言うてるやないか。そりゃ、キツネとタヌキの化かし合いやで。そう気にすんなって。どのみち入社すれば自然にわかることやて。」と。

ひとりで3つも4つも内定もらって、ホンマの第1希望はいったいどこの御社なんや。

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賞味期限

2016-06-02

大学某所より相談。余談で真田丸の話題。

大阪環状線でも真田丸ラッピング電車が運行。
観光誘致とばかり関係各所で様々なイベントが開催され、お土産品も申し訳ないが粗製乱造。「真田丸」はドラマ放映中は商標登録されているので、「六文銭饅頭」「真田幸村チョコ」など便乗商品が多数。「真田丸」の商標違反を逃れようとオリジナルキャラを地元が製作、キーホルダーやストラップに仕立てて販売。しかし早や(真田丸の)賞味期限も半年を切った・・・。
もとより「黒田勘兵衛せんべい」など(存在するのか知らないけれど)はもう埒外。
その発想の貧困さと短い賞味期限には愕然とするばかり。

そう考えると、まだアニメの「聖地巡礼地」のお土産品は賞味期限が長いように思える。
もともと商標をもつ出版社と地元との協力関係で出来、2次元だから様々なアイディアが登場そして商品化。
確かに少数固定客限定ながら、大河ドラマよりも賞味期限は長い。

大河ドラマのチープなお土産を買う者などいるかと思うのだが、意外と多いことに驚き。

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地域文化財

2016-06-04~05

山形へ。
到着後、N氏の案内で各寺社の仏像を見て回る。ご厚意、ご配慮に深謝。

興味深い事例が多数あり。玄奘三蔵像と深沙大将像(共に彫像)が安置されている例など見たこともない。釈迦三尊像とあわせ十六善神ではなく十六羅漢なのかと。そのほか色々と。

19:00から講演会。当初、関係者に挨拶だけして翌日にゆっくり拝見しようと思っていたが、それでは困る・・・とのこと。関係者が聞いていると嫌じゃないですか?

末席にて拝聴。
「文化財は地域の宝」と簡単にいうけれど、管理も行き届かず荒れ放題の状況では誰も「地域の宝」とは思わない。それを掘り起こしても厚い報告書だけでは地域の人々に理解してもらえず、理解してもらうには様々な仕掛けが必要であるなど等々。
拝聴しながら、ふと市町村史の分厚い「史料編」を思い出す。あれだけでは専門家や一部の好事家しか利用できない・・・。

盛況のうちに講演が終了。既に9時近い。その後、関係者が集まって打ち上げ・・・。でも卓の前には先ほど使用したスクリーンとプロジェクターが鎮座。
コーラやらノンアルコールで乾杯の後、おもむろに調査作品が映し出されあれこれと質疑応答・議論。「それでは困る」といったのはこのことか。
マジな検討会が開始。夜遅くまで近世の作品などで大盛り上がり。
永昌寺を出たのは深夜近く。大阪と違って静寂の夜。

翌日、慈恩寺へ。
堂内を会場にした特別展示。展示台に調光付クリップLEDライト(高価だが)、暗幕で十分展示可能。一部ではモニターでイメージ映像が流れる。費用も仏像運搬費に比べると安価。ここでも寺に足を運んでもらう仕掛けが随所に。なにも博物館でしか仏像が見れないことはないと実感。
あと某寺で仏像を拝見。失礼ながら、仏像が安置されているだけでは、人は寺に足を運ばない。

指定作品に限らず地域の文化財を後世に残すことは、既存分野の枠組みでは何も解決せず、寺社も行政もこれまでの手法を墨守するだけではますます先細りとなるばかり。文化財に対するドラステックな変革が必要であることを痛感。

夕刻、帰阪の途に。

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雪舟筆真山水繪

2016-06-06

とある少人数の授業。
ともかく作品を見ることに眼目。好き嫌いは言わせない・・・。

難しい、わからんといったことに定評のある水墨画ながら雪舟筆《山水長巻》を見る。
1紙が40㎝×106㎝もある料紙を使用。濃淡のリズム感が心地よい。画面は水辺のしだれ柳。淡い緑がきれい。
欠席が目立つ中国人留学生に雪舟思い出の擬中国山水画をみせて「柳の季節はいつですか?」と質問したが、「夏」と答えて裏目に。アカンか・・・。

ああだ、こうだと16m近い作品を見ながら最後の款記までたどり着く。信貴山縁起の倍近い長さ。

授業終了後、複製を巻き戻して箱に納める際、奥書に気付いた。「原寸巻子本完全原色 国宝 雪舟筆山水長巻」。発行は講談社。シリアル番号は1466、昭和44年11月30 日発行で、定価18万8千円。めちゃめちゃ高価な複製。
時折、こんなモノが所蔵されている。

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六角紫水の眼

2016-06-07

通勤途上、吉田千鶴子・大西純子『六角紫水の古社寺調査日記』を読了。

旧国宝の指定は、明治17年頃から岡倉天心が文部省の委嘱を受け実施した社寺所蔵の古美術調査、その後の臨時全国宝物取調局による調査(明治30年まで)による明治30年(1897)の古社寺保存法に基づく。明治30年~36年にかけては年間200件近い彫刻・絵画等の「国宝」指定。

しかし同書には、「観音及び広目天二躯ハ既ニ国宝指定済ナレドモ甚タ拙作」(調査前年に指定)とか「優秀ナルモノニアラス 仕入ノ上作ナルヘシ」(調査翌年に指定)など国宝指定=「美術上ニ模範トナルベキモノ」とはなっていない。時には「国宝トシテ指定スルモ差支ナカルベシ」と紫水が指摘した仏像は未だ市町村指定にもなっていない。

古社寺調査日記は明治35・36年のもの。翌年天心に随行して大観らと共に渡米。

京都帝室博物館に出陳の《道邃和尚伝道文》を「既ニ指定済ミノモノナレド全ク偽物」と判断したことなどはご愛嬌だが、指定の有無やラベルに拘らないモノの見方に大いに啓発を受ける。

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まずは雑巾がけから

2016-06-08

文科省講堂での全国博物館長会議(主催:日博協)に今年も参加。

昨年みた 「日本ユネスコ国内委員会」の看板が外されて「スポーツ庁」に。
(3枚看板。書家でない人の揮毫が1枚。どれだ?)

驚くことが幾つも。
6月3日の閣議決定された「文化財活用・理解促進戦略プログラム2020」策定のなかで「文化財で稼ぐ」力が柱に添えられている(配布資料では「『文化財で稼ぐ』仕組みの転換」)。「投資リターンを見据えた文化財修理・整備の拡充と美装化」などど何処の経営コンサルセミナーかと見紛うばかり。
はは~ん、だからピンク色の蒸気機関車が登場するのかと。

日博協は「美術品梱包輸送技能取得士認定試験」を実施。業界のベテラン社員のリタイアなどが背景だが、そこでは「学芸員の資料取扱い技術の低下」も。
いやいや、普段、資料や作品を扱っていながらどうして技術が低下するのか。
もっと驚くべきことにその認定試験の対象者が学芸員ではなく梱包輸送業者の社員。説明でも「認定試験合格者のいる業者を入札条件に含めては…」とのたまうが、それって根本的におかしくないか?
常設展の展示替えや館の企画展でいちいち業者を呼んでたら幾ら予算があっても足らんでしょうし、学芸員はいったい何をする?
配布資料には「自館の抱える問題」として、2258館のうち80%の館が「財政面で厳しい状況にある」と回答しているにも関わらず、日博協が展示経費の高騰を促しているのだろうか。

まだまだ驚くべき内容もあるが、会場内で終始あぜん。そうした矛盾も分からず納得するぐらいなら、自館の展示ケース拭きでもすれば、自ずと館の問題や課題が見えてくるはず。
来年からは不参加の由。

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渡辺丹涯(1 平安人物誌)

2016-06-09

西本願寺仏師の渡辺康雲。「東中筋花屋町下ル町 西本願寺仏師渡辺幸運」と『京羽二重大全』にみえ、延享2年(1745)の初版以来、文化7年(1810)の『文化増補 京羽二重大全』までレギュラー入り。

いっぽう近世京都画壇研究必携の『平安人物誌』「画」の部。
天保9年(1838)版と嘉永5年(1852)版には、岡本豊彦や松村景文と並んで「渡辺丹崕」と称する絵師あり。号を半醒、字を千里、東中筋御前通南に住む「渡辺広雲」。「御前通」は『京町鑑』では「西は西本願寺にて行当也」とあることからほぼ東中筋花屋町下ル町と同地。従って「渡辺広雲(丹涯)」は渡辺康雲。

渡辺康雲は絵も描いていた。京都仏師の仕事が少なくなって、みんな苦労しているのになんと優雅なことか。

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渡辺丹涯(2 皇都書画人名録)

2016-06-10

弘化4年(1847)刊行の『皇都書画人名録』。ここにも渡辺丹涯。

「北宗 圓故応瑞先生門人」とあって圓山応瑞に師事。居所は「西中筋御前通下」、字を半醒、号を釋思斉、通称「政蔵」と。
驚くべきことに、西六条に住む下間旭山(通称 民部卿)、下間徳山(頼泰・通称大蔵卿)の項目には「学 渡辺丹涯先生」。西六条の下間といえば、西本願寺坊官を代々務めた家柄。

絵のほうでは、西本願寺坊官よりお抱えの仏師の方が上らしい。

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渡辺丹涯(3 平安画家評判記)

2016-06-11

中信美術奨励基金編の雑誌『美術京都』43(2012年3月)に所収の田島達也「『平安画家評判記』について」にも渡辺丹涯の記載あり。
同書は安政3年(1856)刊行。この年は焼失した京都御所再建の翌年。評判記に記された画家も御所再建に貢献したと田島氏は言及する。

渡辺丹涯の画力。
岸岱を「無類」(最上)、狩野永岳を「大極上上吉」とした評価では、丹涯は「上上土」。土は「吉」の上であるから、星二つ半というところ。千両(満点)中320両で、役者で言うところの「中村歌四郎」らしい。
田島氏は小御所杉戸を担当した「安藤丹崖」に当該すると。

振り返ると、『平安人物誌』(文政5年版・文政13年版・天保9年版)には渡辺政信なる絵師も。号を 東山、松涯で俗称は渡辺周蔵。居所が「冨小路押小路南」。居所が異なるものの、「涯」字を継ぎ、周蔵、政蔵と繋がり、ひょっとして親爺なのかも。

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引き算

2016-06-12

京都で「N先生の還暦をお祝いする会」に出席。

この頃、「還暦」祝賀会をすることが多いと仄聞。
昔なら「古希」とかが多かったのだが・・・と。

円卓での話題は「引き算」。それぞれ自らの齢を考え合わせ、定年までの引き算を思わずしてしまう。
とはいえ、「古希」「喜寿」を迎えられた多くの先生はまだまだ現役。
「還暦」のお決まりとはいえ、赤いちゃんちゃんこは早すぎる・・・。

こちらもまだまだ青二才。頑張らねばと。京都は夕刻より雨。

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マスコミ嫌い

2016-06-13

午後より、100周年記念会館にて坂崎幸之助氏を迎えての講演&学術シンポジウム。普段とは違う聴講の方々。

486席がほぼ埋まる状態。朝から行列ができていたという・・・。博物館も14:00~15:00まで一時閉館(その後18:00まで延長開館)。
博物館であれこれ対応の後、100周年記念会館で講演&学術シンポジウム。こちらも普段とは(ずいぶん)違う雰囲気。

終了後、ややくたびれながら博物館へ戻る。

その後、民放TVの取材を受けるも、あまりに頓珍漢な質問にあ然とし、途中で学芸員氏に交代してもらう。例の”マスコミ嫌い”が露わ。TVカメラが回る前で眉間に皺。

新聞記者ですら文化財の知識や展覧会の概要を理解した上での質問が少ない(基本的知識が欠如しているので答えようもない)現状、TV取材クルーがそうした感覚(知識ではない)を持ち合わせているはずもなく、何を勝手に阿呆な質問と阿呆な回答を想定し、他人にその阿呆な回答を無理強いさせるのか。昼から取材しているがいったい何を撮影していたのかと。
バラエティ番組が守備範囲でない展覧会などを扱うからこうなるのだ・・・。

気持ちよく学術シンポから帰って来たのに台無し。

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ガラス乾板

2016-06-15

とあるガラス乾板写真の複写。

1枚のガラス乾板に上下2カット。写っているのは1巻の巻子。冒頭の部分が下、巻子の中ほどが上に写っている。こうした撮影方法があるのか(できるのか)と頭を悩ます。

4×5(シノゴ)で想像すると、ホルダーの引き板が2枚重ねになって内側の引き板は半分のサイズ。外側の引き板を引くと、横長のハーフサイズになるが、恐らく内側の引き板の端から光が漏れることに・・・。
無理か。
ガラス面に乳剤を半分塗って撮影、次に残り半分のガラス面に乳剤を塗って再び撮影、という方法が考えられるのだが、ガラス乾板で撮影した経験がないので、果たしてそうした方法ができたのかどうかすら分からない。
ともかく巻子撮影にはぴったりのサイズ。やや長い巻子も7枚で撮影完了している。

イメージを掲げたので、撮影方法を御存じの方、ご教示下されば幸甚です。

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マブイ

2016-06-16

午後から那覇で会議(きれいな海だが、今回も海を見るのはこれっきり)。
本日、沖縄は梅雨明け。いきなり31℃。

会議はつつがなく終了し、夕刻から一献。元東博M氏(沖縄在住)と元京博K氏(来沖頻繁)、県のS氏そして小生。

業界話もそこそこに、M氏曰く、米軍属による凶悪な女性殺害事件に触れて「(被害者の父が現場を訪れ)『みんなと一緒について来てよ。お父さんのところに帰ってきてよ』『娘の魂を拾いに来た』と語ったことは、本土の人にはピンとこないかも」と。
K氏、S氏が深く頷く。
「あそこ(現場)には被害者の『マブイ』(魂)があり、それを父は本来あるべき身体へ戻そうとしたんじゃないか」と。

(かなり泡盛で酔っているのであいまいだが)突然の災難や強い衝撃に遭い、突如ぼぅとした状態に陥ることを沖縄では「マブイを落した」といい、最悪死に至るらしい。
((((;´・ω・`)))

そうした時には落とし物(マブイ)を拾わないといけない(だから現地なのか…)。でも、どこに落したのかわからない時には、「ユタ」に頼んで『マブイぐみ』をしてもらい、魂と身体の一致を図るらしい。(だから「ユタ」は今でも現役)

あと(沖縄で)マブイを落しそうなところはやはりいわくありげなところ。
ちょっと怖くなって「(その場所を)知る方法はないのですか?」と質問(空き時間にうろうろしているから…)。
三氏、口を揃えて「(その空気を)感じる人!見える人!こういう人が傍におれば大丈夫!」。
思わず、この人 かと想像(満面の笑みで両手ピース姿が浮かぶ)。

ほかにも梅雨明け猛暑にふさわしく、背筋が寒くなるような話題が続く。

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読めない・・・。

2016-06-17

未明のLCC便で帰阪と思ったが、家人、実家へ帰省中のため空港から自宅に帰ることが出来ず、また朝1番の飛行機で帰っても授業に間に合わないため、授業は休講(すまぬ)。

バスに乗って浦添市美術館へと向かう。運転手プレートには「平安山」。残念だが読めない。
スマホで調べると「へんざん」。那覇の街でも「饒平名(よへな)」、屋富祖(やふそ)」、根路銘(ねろめ)、謝花(じゃはな)、東風平(こちんだ)」など難読人名が続々。沖縄県博の館長の名刺も「田名」のうえに「だな」とルビふり。

美術館では「虹色のかけはし 内間安瑆のARTと浦添の移民100年展」「儀間比呂志・中山良彦の沖縄戦版画集「戦がやってきた」原画」展と常設展「漆器トラベル!」展。受付で、全てで300円、後2展で200円だがと問われ、常設展のみでと答える。

琉球漆器の推移を見学。螺鈿などビッシリ系から余白をもたせ、その後余白が拡大する方向。基本的に器を中国から輸入し、琉球で装飾を施し、薩摩へ送るプロセス。文様は中国風、螺鈿は武家好みと。
螺鈿に使用する貝も南蛮漆器などに使われる白色系ではなく緑、赤がきらめくもの。《金魚文堆錦高坏》は擬堆朱風。金魚はもちろん琉金。《黒漆山水人物螺鈿密陀絵箔絵箱》は中国人と南蛮人が描かれる。これもヤマトの南蛮趣味を受けてのものかと想像。
「紅房コレクション」の《黒漆水玉堆錦箱》は斬新なデザイン。現在でも十分通用する。
1時間ほどじっくりと静かに作品を拝見。

その後那覇空港から帰阪。下の写真は那覇空港で見つけた壺屋焼のポール。

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蓄音機で聴くSPレコード演奏会

2016-06-18

某日、博物館で上野製薬株式会社寄贈のSPレコードリスト(1500枚)を見せてもらう。

両面コピーのぶ厚い束。リストを一瞥しながらも、さっと選曲できるシロモノでない(能力もない)ので、リストを1日貸し出してもらう。
その夜の帰宅途上、電器屋に立ち寄り、イヤホンを購入。
帰宅後、晩酌もそこそこにリストから思い当たる曲目を片っ端からYoutubeで試聴。Youtubeでは1曲が90分ほど。SPレコードだといったい何分?などと、基本的事項も分からない。

日付も変わった頃にようやく2曲選定。翌日博物館に報告。
あと、親切にも実施前に学芸員氏が蓄音機の操作方法を教示してくださるという。
つくづく世話の焼ける館長である。

詳細(選曲)は
  ・グリーク『ペール・ギュント第一組曲』
   (John Barbirolli & His Orchestra)
  ・ワーグナー楽曲『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲
   (トーマス・ビーチャム指揮、ロンドンフィルハーモニー・オーケストラ)
と相成った次第。ふぅ。

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オープンキャンパス

2016-06-19

オープンキャンパス(グリーンキャンパス)開催。11:00より学部別相談コーナー。

予想通り、「文学部 総合」(執行部)の窓口は大混雑、次いで英米文学(英米文化)関係が混雑(小学校教諭、心理学等は「総合」)。その他(の専修)はかなり閑。
他専修の先生方と待機かたがた雑談。実は他(専修の)先生がたも全員執行部経験者。
「(執行部)たいへんですね」「まぁいいんじゃない」との某先生の言葉に誘われ、そのまま放置。

午後、昼食も済ませて戻るも「文学部 総合」は未だかなり混雑。
見兼ねた学生スタッフが幾人かをこちらへ誘導。
それでも頑として混雑の中順番待ちをする学生や親子連れ。誘導された学生、親御さんは最初半信半疑ながら、的確な回答・解説を得て、納得されて早々と会場を後に。
スムーズなこちらの方を一瞥したまま、未だ気長に順番を待つ学生や親御さん(留学のこと、他の専修に聞いてもダメでしょ!という空気)。かつて は我々もそこに座っていたのだが。

毎年「文学部 ○○専修」というミニボードを作るからこうなる。「文学部相談①」「文学部相談②」とすれば、執行部もずいぶん楽になるだろうに。

16:00終了。博物館(本日特別開館)に立ち寄り、帰宅。

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しまった!

2016-06-22

博物館のミニコンサートも無事終了し、会議と打合せの後、ようやく部屋(個人研究室)に戻る。お茶(ペットボトル)を飲んでひと息ついていると、ノック。
「はい」と応じて現れたのは見慣れぬ男性。

「こういう者でして・・・」と差し出された名刺には某出版社。
「こういう書籍があるのですが、センセのご専門に関係のある書籍と思いまして、ぜひご購入いただけませんでしょうか?」とパンフレットが差し出される。
「あぁ、その本ですね。それならここに・・・。」と書棚の一角からこれですねっ、と取り出す。

「既に購入されていましたか・・・。」と某男性。
「えぇ、購入も何も。その本に執筆していますんで。」
「えっ!」。
男性の顔に「しまった!」とありあり。
・・・・・・。
「パンフレット置いておきますんで、またご入用の際には・・・。」と足早に退出。

営業としてはいささか問題あるものの、憎めない人柄。

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カレンダーのいたずら

2016-06-23

授業も終わり明日の準備途中、机の前の学年暦がふと目がいく。

明日は金曜。4月8日に第1回目の授業があり、7月15日(!)が15週(4/29は授業日)。
ちなみに木曜日は4月7日に第1回目の授業で、7月21日が15週(5/5は休日)。
なんでやねん、なんでやねん。遅くに始まり早くに授業終了するんか。
理屈では理解できるものの、4/29に休日返上で授業をして早く終わるのもどことなく不思議
(試験期間等があるため)。

金曜日はあと4回。早くレポート課題を提示しないと。

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今しばし猶予を

2016-06-24

授業・会議と続き、メールボックスを覗くと一般の方から手紙。丁重な文面とともに数枚の写真が添えられている。

関西へ寺社巡礼中、某寺山門上に仏像があり、御像の尊名を教えてほしいとの由。
実は、某寺は拙宅の近所に所在。写真の御像も何度か見ており、不思議な像と思っていた。既に報告書が刊行されており、そこでは「阿弥陀如来坐像」と。手紙を寄せられた方も報告書を見ており、違うんじゃないかと疑問視されている。

御像は肉髻部のみ螺髪を表わさず“無毛”(←学生たちはこれをザビエル像と呼ぶ)。衣は通肩、印相は右手は掌を前に向けて第1指と第2指を捻じ、左手は掌を上にして3・4指を僅かに曲げる。肉髻部は赤く塗られ、衣部は朱彩。

報告書(コピー)を見直しても、これが「阿弥陀如来坐像」である根拠は全く説明されていない。普通、こういう御像は「如来形坐像」と“逃げて”おくのが妥当だが、なにか寺伝以外の根拠があるのだろうか。

以前は、同業者や一般の方々から寄せられる質問、問合せは「『源之丞』って誰ですか?」のような類が大半だったが、最近はプロ・アマ問わず寄せられる質問、問合せは難問を極める。

作者名が解っているだけになんとか応えたいと思い、雨の中、図書館へ向う(とはいえ、すぐさま回答できるような類ではない。)

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その後のお楽しみ

2016-06-25

朝から大学コンソーシアム大阪(於 梅田)で講義。久しぶり。

受講生は40名余り。一般市民の受講はなく現役大学生限定。以前は一般市民の受講も可能だったが、逆に学生が少なく本来の趣旨から外れていたので是正。講師の先生方も不評。常連の一般受講生が「今日の話は昨年と一緒でしたね」とか仰るもので・・・。
こちらも似た経験があり、「秀吉が方広寺を建て・・・」とか「この屏風は秀吉七回忌の折・・・」と講義していたが、終了後、初老の方から口頭で「大阪でお話しされる時は『秀吉』『秀吉』と呼び捨てにせず、『太閤さん』と呼ばれては・・・」と注意(!)を受けた。あほか。

今日も気持ちよく授業を終え、コメントカードを書く女子学生に
「これから、どういうご予定?」と(←別に誘っているわけではない)。
学生曰く「梅田でぶらぶらとお買い物」。
頑張って土曜日の朝、授業に出て、そのままランチとかお買い物とかに流れる予定である・・・。
「大学から梅田へ出ようと思っても、平日なかなか難しいので」とも。

そういえば、以前、事務方から「40名の受講って、すごいですね」と寸評。
学生の思惑は講義ではなく(それも大事だが)、その後のお楽しみがあることだろう。

こちらも梅田で昼食を取って帰宅。

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昇殿参拝

2016-06-26

やんごとなき事情で、京都の某神社で「昇殿参拝」を経験することとなった。やや緊張の面持ち。

拝殿前に並べられた床几に坐す。しばらくすると宮司による祓詞、そして修祓(おはらい)。その後、献饌があり祝詞の奏上。
緊張度マックス。
巫女による神楽があり、ようやく昇殿。そして玉串拝礼。昇殿のまま撤饌、御札が授与され、神職一拝にあわせて一礼後、拝殿から退出。
その後、社務所応接にて茶菓(直会)と授与品。

梅雨の合間の快晴のもと、祝詞の奏上が終わると、心地よい風の音がする。社務所に移動中、巫女さんが「まるで迎えられているようでしたね」と。

久しぶりに心地よい経験をした。心身ともにリフレッシュ。

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悪魔の指差確認

2016-06-27

学外某所から日程調整の依頼あり。

その頃は夏休みというのに、週の前半はかなりタイトな状況。後半にはまだ余裕がある。
日程調整の依頼は週の前半限定。ただでさえ厳しい状況で、ほっとひと息つこうと考えているところに予期せぬ割り込むが入る。
きっと、どこかで悪魔が私の手帳を盗み見して、ここっ!ここっ!って隙間を指差確認しているに違いない。

週の後半ではアカンのですかと問いたいのだが、先方にも都合というものがある。やむなく割り込むのだが、ビッシリと予定がつまってしまい、どこかでミスをしそうな気配。

慌ただしさも手伝って、相変わらずの綱渡り。

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M先生

2016-06-28

授業の後、打合せ。そのなかで早稲田大学との連携講座(学生対象)。(←大学も色んな展開)

昨年は関大で開催されたが、今年は早大。夏休みのさなかの開講、初日には誰か(教員)が早大へ出向いて挨拶に行かねばならない。講座の担当教員は 以前お世話になった M先生。
知らぬ間柄ではないので、小職が上京することに。

4日間15回の集中講義(テーマ:「江戸落語と上方落語」)だが、昨年(関大)はリレー講義形式だったが、早稲田は15回すべてM先生がご担当。
事務方からどんな先生との質問。

M先生、実は大阪出身。彼地へ移ると移った先で自分の専門と関係のある「違うこと」「目先の変わった」テーマををしなければならない。それが社会というもの。
そうした社会の機敏を知る人でもある。

上京、再会が今から楽しみ。

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座学

2016-06-29

終日、雨が降ったりやんだり。会議と授業(リレー講義)。会議のなかでeラーニングの話題。

学生はPCを立ち上げて当該サイトを開いて…というのは面倒で、スマホを見て問題を解いての「ながら学習」がよいそうである。その感覚はおぢさんには理解できない(別にその事で揉めたわけではないが)。

学生の大半はタブレット端末を持っているわけではなく(通勤のサラリーマンも簡易麻雀機と化した感あり)、あの小さな画面でどうやって回答を記入するのだろうかと、不思議に思う。

こちらは老眼だからか、小さな画面を指で拡大するもたいへん。メールでアルファベット・カタカナ・ひらがな(漢字)交じりの文章をスマホで打つのもひと苦労。
えいぃ、自宅に帰って改めてと思ったことも何度か。

「座学」も昔語りとなりつつあるのか。

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展覧会終了

2016-06-30

6800名余の入館者を得て「なごみのガラス―坂崎幸之助 和ガラスコレクション―」、本日無事終了。

あれこれあったが、3ヶ月に及ぶ超ロングラン興行がひとまず終了し安堵。

会場で会話を聞くと、学生曰くレトロなガラスと言えども、ある年齢層からは「懐かしい」との声が圧倒的。かつて販促で配られたコップやどこの食堂や食卓にもあった六角形の醤油瓶やソース瓶などなど。樽型の醤油瓶を見ながら、学生に「昔は醤油を樽で買っていたので」と説明し驚かせたことも。
これらはすべてプラスチックやビニール製に代わり、身の回りからガラスは消えていった。

個人コレクションなので大系だった蒐集ではないため、展示・構成する学芸員の苦労もひとしお。
スペースやこちらの意向もあって、館蔵品も展示した。単にモノを並べるだけでは展示にならないことも久しぶりに気付いた。

今回は特に博物館スタッフ全員に感謝の意を表したい。

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過去ログ