日々雑記


黄檗様彫刻

2022-8-1~2

群馬・某所にて、研究者と共に黄檗様の仏像調査。

本尊は、台座に銘記があり作者の出自に関して重要な資料でよく知られている。
布袋(弥勒菩薩)像は、衣の内側が朱ながら、漆箔の下地は黒漆塗である。また別像での肩の矧ぎ付けは、四角い溝を彫って、そこに腕部材を挿し込む形式である。
漆線彫も中国彫刻よりもちょっとベタッとした感じ。

あれこれと観察や撮影などしていると、ふと檀家向けの閲覧用書架に目が留まる。思わずこの雑誌を手に取り、しげしげと読書?を始める。
2008年1月刊行の『週刊仏教 新発見30 萬福寺』(朝日新聞出版・改訂版は2016年)で、小生執筆の「宝物鑑賞 若き中国人仏師による羅漢像の豊かな表情」が掲載。
当時、頂いた原稿料で雑誌を買って関係者に配布、手元用に改めて買いにいったら既に売切れとなり、手元にない幻の1冊。若き研究者が書いた「若き中国人仏師による羅漢像の豊かな表情」である。

雑誌が功を奏したわけではないが、御寺様も非常に好意的。安置礼拝する御像についてもっと知りたいという熱意ながら、研究者や専門家が御寺様の要求するレベルに十分に達していない現状がよくわかる。
修復過程で本来の彩色や装飾をすべて剥がされ、その時点で指定にするからと修復中止になった御像もある。剥がされた彩色や装飾層は丁寧に箱に納められている。拝見させていただくと、そこからまた様々な加飾等の事情が判明。

2日間にわたる調査でもまだまだ調査しないといけないことが多い。もちろん知り得た、判明したことは全て報告の予定。

休憩時にちょっと気になることを仰っていたが、再調査したいとの希望を伝えて、今回は一応終了。こちらは帰阪の途につく。

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銀も金も玉も何せむに 優れる宝 子にしかめやも

2022-8-3~4

「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに 優(まさ)れる宝 子にしかめやも」
山上憶良(万葉集巻5-803)。

諸事情あって「優れる宝」を千葉某所へ搬送。
何度走るも、首都高速系は複雑すぎてよくわからない。左端のレーンを進んでいると突然「右側2レーンをお進み下さい」とカーナビ。割り込まざるを得ない。
艱難辛苦の末、無事にお届け。しばし歓談の後、駅前のホテルで泊。

翌早朝にホテルを出て大阪へ回送。
御殿場あたりで強雨に見舞われつつも、夕刻に帰阪。

往復1200㎞強の強行軍で、心身共にぐったり。
東名を走りながら、大昔、日通の美専車に同乗していた頃を思い出した。

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寂寥

2022-8-5

過日の御寺様が仰っていたのは、「江口(正尊)先生、亡くなられましたよ」と。えっ!

調べると、昨年4月に亡くなられている。近世彫刻、殊に黄檗彫刻については名実ともに第一人者であった。
論文はやや独特の論旨ながら、まず大いに資すべきものとして手元にいくつものコピーがある。若い頃、論文抜刷をお送りすると毛筆の丁寧な御礼状が届いたこともある。

大槻先生も鬼籍に入り、江口先生も亡くなり、黄檗彫刻について疑問が生じたら、まず誰にご教示を乞えばいいか戸惑ってしまう。

ひと回り上の戦友を無くしたようで、寂寥感に襲われる。
合掌。

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オープンキャンパス

2022-8-6

2年?ぶりのオープンキャンパス。

日差しの弱い午前中に行こうと思うのか、多くの人出。
写真は10:30頃の法文坂。

真っ黒に日焼けした体育会系高校生が母親同伴で来学。
まぁ、最近はさほど驚きもしないが・・・。
各種推薦入学が過半を占めるなか、オープンキャンパスも以前ほどの賑わいがあるとは思えない。

こちらは午後からのミニ講義(30分・本日のみ)。
スタッフの誘導もあってか、前から席が埋まる・・・。

勿論、仏像の話などもってのほかで西洋美術の話題だが、間違ってもドガ(2022-4-14)とかもご法度。何しろ現役高校生及び保護者の方対象。

無事、つつがなく終了。

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仏像移動

2022-8-7

過日、知己の文化財保護課から、山中の御堂が雨漏りが著しく、堂の修理に伴い仏像を移動する必要があるが、どうすればよいかとの問い合わせ。行きますと応じて、朝から向かう。

山中の事ゆえ、役場から公用車に乗り換え(かつて公用車もド派手に脱輪したらしい)現地へ。

経机や御輪(りん)などは既に運び出して、別保管済。
以前から雨漏りもあって須弥壇の周囲はトタンが貼られ、厨子は銅板製。厨子を開け仏像を取り出し、用意していただいた綿ぶとんや薄葉紙で梱包。事前に頂いたスナップ写真から担架を造るほどではなく、箱に納めて一件落着。

後、修復施工している大工さんからの質問。段ボール裏に質問事項がびっちり列記されている。須弥壇まわりの施工や施工後の色目などなど。質問に答えながら地元にとって本当に大切な仏像であると実感。
後部座席にこちらと納入箱を載せてもらい、別保管場所へ搬送。到着後、梱包を解き仏像を台座の上に立たせ持物を持たせて、終了。

未指定・未調査(秘仏)の仏像なので、後日に計測・写真をお願いすることに。

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那覇行

2022-8-8

いつも通り家人に「エンジョイ! バケーション !」と言われながら、JTA005便にて那覇へ。
バケーションに書類は持っていかない・・・。

1年半ぶりの那覇。
コロナの影響か、この時期の那覇としては人は少ない。ゆいレールに交通系ICカードが使用できたことは便利だが、この混雑では・・・と思う。
定宿となった国際通りのホテルへ。国際通りの店舗もかなり閉店。人通りもさほど多くない。

夕刻、別件で先に沖縄入りしている知己の研究者と一献。その後ホテルで書類整理などして過ごす。

画像は鹿児島南端の与論島。ここを過ぎしばらくするとシートベルトのサインが点灯。

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会議

2022-8-9

午前中、会議。
第2期 琉球王国文化遺産集積再興事業、始動。

事業完了は2029年(予定)。園原氏と顔を見合わす。完了を見届ける自信はない・・・。

幾つかの候補資料に円覚寺羽目板(2019-8-22)がある。
羽目板は鎌倉芳太郎写真資料にも掲載。羽目板の大きさもわかるので、写真を原寸大にコピーして破片を置いて照合してみたいと申し出る。
琉球王国では、王府以外は仏像を必要としない土地柄。
従って木彫を担当する細工奉行や貝摺奉行の筑登之親雲上(チクドゥンペーチン)の主な仕事は木工細工などが主である。そうした状況で、敢えて仏像に拘るよりもむしろ精緻な木工細工に琉球王国の手わざを見るべきであると思うのだが。

予定よりやや延長して会議終了。沖縄そばを食した後、午後からご厚意で調査中の尚王家の位牌を拝見。この位牌も円覚寺にあったもの。

JTA008便で関空へ。大阪も那覇もさほど暑さは変わらない。

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企画書

2022-8-10

以前、学内で発表した内容を小論として出版物に掲載するため、発表で用いた画像(書籍から複写)を借用しようと、所蔵機関(某大学資料館)に手続きをお願いしたら、「まず企画書を提出して下さい」とのこと。
論文の「企画書」など聞いたことがない。
無理くり「企画書」を書いて、このように使用しますと見本用の仮レイアウトまで作って送ったら、「以前借用を行ったものでしょうか」と。藪蛇だったかも知れないが、なんだか面倒な組織だなぁと思う。
もう、書籍の当該頁だけ示して、図版はやめようかなと思ったり。ちょっと厄介。

2日間メールを開いていなかったので、大学各部局などからのメールが溜まる。
追試験の答案も受領、採点。明日から一斉休業。

(追記)
その後、「当館の写真データに差し替えて下さい」との連絡があり、ようやく申請書と写真使用申請の流れが送られてきた。
申請書をメールで送り原本も郵送、写真使用料納入通知書が送付され、納付金領収書コピーを返送(ファックス可)、確認後に画像と借用書を送付、まずは借用書を返送など実に煩瑣な手続き。上方落語の「ぜんざい公社」である。

読者の皆様、お手数ですが、書籍の当該頁を参照してください。

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仏像のカルテ

2021-8-11

大津市立歴史博物館「仏像をなおす」展へ。

ちょっと変わった展覧会。近世の修復によって古像が今日まで伝えられてきたかを示す展覧会。
古仏像といえど明治まではあくまで信仰の対象で新しく修復し、信仰の回復を図るというのは至って当然なこと。
明治に入って修復の理念が変わっただけである。
思えば「膝前材、後補」と言うのは易いが、何時の時代(たいていは江戸なのだが)の補作なのかまではあまり記されず、今日の姿に至るまでの修復、変貌?の履歴はついおろそかになりがち。
後補部を写真パネルで色分けされていたのも例をみない。
根本中堂十二神将像は京都・元応寺からに移されたことにも驚き、何度も見た日吉大社の獅子・狛犬も康正の作とされびっくりである。黄不動の旧表具(描表装)も左近によって描かれるなど大いに学ぶところ多し。龍谷ミュージアム保管の仏像雛型も展示。

個々の仏像にも幾多の苦難を乗り越えてきた歴史があり、それを正しく伝えることも必要と思うのだが、なぜか「仏像のカルテ」には空白が多い。

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しばらくお預け

2021-8-12

某市にて文化財保護審議会。

今年度の指定候補資料は何かなぁ?といつも期待している。というのも毎年ずっとバラエティな分野に富んだ指定候補資料が登場している。

机上の資料を見ると、ない!ど、どうしたんだ?といぶかりながら資料を繰っていくと、文化財保存活用地域計画策定の案件。
既に幾つかの市町で策定済。文化財の棚卸し事業である。
旧知となった職員氏もそろそろ定年引退。引き継ぎ不如意だとこちらも困る・・・。

同計画では「地域計画の作成過程で調査・把握された未指定文化財のうち、滅失・散逸等の危機にあるものに対して速やかな保護措置を講じる」とあって、色々と動かないといけない。

指定候補資料のお楽しみはしばらくお預け。

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一蓮托生

2021-8-14

墓参前になら歴史文化村へ。家族もいるので速攻で見学。

天理大学・立命館大学・奈良県立大学・東京藝術大学の連携活動を紹介。最後のコーナーが、ちょっとショッキング。
両腕が失われた観音像(室町時代)、泥まみれとなった薬師如来坐像。パネルを見ると天井が抜け、台座もほぼ崩壊状態で、仏像も傾いている。

「ショッキング」というのは多少誇張で、これまでパネルと近い状態で仏像が安置されている状況は幾度も見てきた。

各大学が持つ英知を連携して失われつつある文化財をどのように将来へ受け継いでいくかがよく理解できた企画。

最後に長岳寺大地獄絵の絵解きを見て、車に戻る。絵解きの最後の説明は「一蓮托生」。
一蓮托生の文化財研究。

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大坂菊屋町宗旨人別帳

2021-8-16

某所にある座高1尺余の仏像。

台座裏には天保11年(1840)の年紀と大坂心斎橋北久太郎町に住む仏師荒井左文の墨書銘。荒木左文については事績があり、天保7年に某所近郊で役行者像を制作。

願主(施主)は「地岡屋平兵衛」。
まぁ、わからないだろうと、半信半疑で調べると『大坂菊屋町宗旨人別帳』 第7巻に「生玉社地岡屋はる代判平兵衛」と記載。

北久太郎町から生玉社まで2㎞ほど距離。
地岡屋平兵衛にとって荒井左文は、駅前の電気屋さんといったような周知の仲だったのかもしれない。

ここまではわかるのは非常に稀なケース。ちょっとびっくり。

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受益者負担

2021-8-18

埋蔵文化財調査(発掘調査)では、建築物を建てる際に埋蔵文化財調査を行い、遺跡があれば発掘調査を行う。基本的に建物が個人住宅の場合、全額公費で発掘するが、営業目的の建物(アパート、マンションも)の場合、発掘調査費用は開発事業者の負担となる。
建築申請に必要な項目にも埋蔵文化財に関する項目があり、これは理解できる。

遠方の地方自治体から市町村指定にしたいという近世仏像(関心はあまりない)があり、派遣の打診が来た。
交通費程度は出すとのことだったが、その後、交通費は所蔵者(地域で管理)負担ということで金額を知らせてくれとの連絡。地方自治体は仲介するだけだと。

おかしい、おかしい。
近世仏像を市町村指定して「益を受ける者」は誰か。地方自治体やろ。
それを管理している住民が負担するということは考えらへん。

すぐさま、お断りのメールを入れる。
本気か冷やかしかも知れないが、文化財に携わる者としては失格。

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仏像調査

2021-8-23~24

某所にて若い研究者らと仏像調査。
平安仏あり近世仏像ありの盛りだくさん。

関東圏でないのに、幕末の修復仏師が「仏工東都芝新遷(銭)座 源七」?修復のために江戸へ持って行った?
過去帳を繰ってみると、明治17年5月5日に源七なる者が亡くなっている。修復時期は約40年ほど前。大人になって江戸へ出て仏師となり、地元に戻ってきた折に修復したと考えても不思議ではない。
傍らでは別の仏像が調査中。頭部は古く、躰部は後の補作かと議論しているのに、お気楽にも幕末江戸仏師の生涯を妄想。

午後からも同様。
10世紀あるいは11世紀と年代と構造(躰部と膝前材は平安時代だが別製の材で、間に江戸の部材が挟み込まれている)で議論が展開。膝前材だけが残るのは、京都八幡市の遺跡で井戸の中から出ていたことを思い出し、 修復した際に、「これ、再利用して」などと村にあった平安時代の膝前材を差し出した無茶な修復注文だったんだろうかと。

傍らには、阿弥陀如来像。江戸時代初期と思えたが、台座裏には「京高倉五条上ル町 吉田源之丞」の墨書。幕末か・・・。像底をみるとやはり奥行が薄い。
吉田源之丞は明治に入ると、三条寺町に転居するので幕末頃の制作。
幕末京都仏師、侮るなかれである。

翌日も織豊期から近世初頭に入る仏像を調査し、意気揚々と午後からも調査。ところがである。
急峻ともいえる山道1kmほどを登り切ったところの御寺。しかも自動車は入山禁止。
「(調査機材)持つわ。」と言ったものの10分もせずにギブアップ。若い研究者に荷物を託しても足が前に進まない。
喫煙者、運動不足、メンバー最高齢といえども情けないほどのじぃさんである。
途中から「(物理的に)若い人の足を引っ張ってはいけない」ばかり思うものの、常に最後尾に位置し牛歩。

ようやく御寺に到着しばし休息。仏像調査どころではない。
調査は室町の年紀がある仏像などがあり、最後には平安時代の仏像。「(調査でも)若い人の足を引っ張ってはいけない」と大人しく、議論を拝聴。

もう山上にある御寺の調査はムリかもとちょっと悟りながら下山、帰阪の途につく。

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プチ大掃除

2021-8-26

大学。
昨日の調査で参考に資すべき仏像を大昔、依頼があって調査した。
調査後に調査データを送ったが、理由は分からないが、論文化はもとよりすべての撮影写真・フィルム・調書・調査データを返して(送って)ほしい、調査データも抹消とのことで返送した。

近年、心境の変化か何かがあって、他の仏像も見てほしいとの依頼があり調査に訪れた。その折に以前作製の調査データもコピーを取り、必要があって既知の地元研究者にも一部コピーを渡した。

ところが肝心の調査データコピー(原本)が見当たらない!
大学での予定をすっ飛ばして、探すも出て来ない。夕方までプチ大掃除。

B4 2枚のプリントで、クリアファイルに入れ、書架に置いたことは確かだが・・・。

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高野四所明神

2021-8-27

午前中、家人と高野山へ。

壇上伽藍(御影堂修復)参拝の後、御社へ。
「高野四所明神は我が家と一緒。男神一柱、女神三柱。」と迷解説しながら、三宮がすっきりしない・・・。

三宮は、気比明神(大食都比売大神)ながらこれは近世以降のことで、以前は三大神宮(丹生権現の王女で高野明神の妹)であったとも、渋田の蟻通神だったとも。渋田の蟻通神は車でいくと紀ノ川を越えてすぐのところ。

厳島明神については平清盛の関係が推測できるものの、なぜ蟻通明神から気比明神へ?、しかも近世?と口モゴモゴの状態。

「ちゃんと調べておくように」との家人の弁。そう簡単ではないと思いつつ「はぃ」。

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ドイツの仏像

2021-8-29

以前、共同研究でご一緒したドイツ文化研究者(日本人)からメール。

ドイツ 某博物館のK氏(ドイツ人)が館蔵品である仏像の来歴調査がしたい!と熱烈希望しているとのこと。
周囲の若いスタッフや関係者(日本人)は、素人が仏像をひっくり返して写真を撮ることなど壊してしまうので、やめろと猛反対。

K氏はあきらめきれず「ほら、近い作品が この文献 に載っている」と提示。関係者から研究者へ文献確認?があり目を通すと小生の名があったので連絡したとの由。
確認すると似た仏像はないようにも思えるが、像底や台座裏に墨書銘がありそう。

件の仏像は以前、日本から調査に来たとのことながら、近世仏像なのであまり詳細な調査はなされていないようにも思う。

日本国内なら「では、拝見かたがた調査したいと思います」と二つ返事で向かうのだが、流石にドイツなのでそう簡単にはいかない。日本調査団との調整も必要だろうし・・・。

ドイツへ行けば大盛り上がり間違いなしだが、まずは制作時期などをアドバイス。

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Going My Way

2021-8-30

過日夕刻、暑気払いと称して旧友と一献。

お互いモノを扱う職業がら、学生の頃の夏休みは常に作品資料や文献やら追いかけていたが、最近の学生・大学院生はどう過ごしているのか不思議に思うと、親爺たちの愚痴。

時代が変わったのか、環境が変わったのかも知れないが、ハングリー精神は我々ほどにはないのが現状であろう。
最近もハングリー精神旺盛な学生に出会ったが、そうした者だけが生き残っていくので、特に問題はなかろうとも思う。Let's Going My Wayである。

今日は文化財関係で某所にてカメラマンと下見(ロケハン)。

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