日々雑記


丹生川上神社の神像

2023-2-1

昨日から東京国立博物館で開催の「令和5年新指定国宝・重要文化財」。
展示リストを見て、びっくり仰天。

吉野・丹生川上神社(中社)の神像群20躯が重要文化財に指定。
この折の調査(2017-3-27「齢を感じる調査」など)作品である。
神像はすぐさま県指定となり、罔象女神坐像と女神坐像(「大奥様」、「奥様」と呼んでいた)は、美顔(2019-9-18「シミ取り」)されて、2019年10月に渡航、大英博物館「NARA:sacred images from early japan(奈良 - 日本の信仰と美のはじまり)に出品。
そしてこのたびの重要文化財指定である。今度は上野の東京国立博物館へご出張の由。

調査を行った神像が、重要文化財になるのは島根・清水寺摩多羅神像以降、2件目。
喜ばしいこと、限りなし。

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ウィーンに行きたい

2023-2-2

3月7日からの国立歴史民俗博物館「いにしえが、好きっ!-近世好古図録の文化誌-」の招待券を頂き、れきはくHPを見る。
久々にデータベースをみると、シーボルト父子関係資料データベース。
試みに「像」と入力すると、近世仏像が出るわ出るわ・・・。

・千手観音菩薩立像(「大坂高津松屋町/□/岩井兼□□/定吉」)*兼□□は善兵衛?
・阿弥陀如来坐像(「南都京大内二位祖春日氏/大佛師 □春(花押)/右近将監/五拾五歳□作之」)
*三重・亀山西盛寺阿弥陀如来立像(元禄12年・1699)に同名の仏師。□春はない。
・菩薩坐像(宝塔三尊:題目塔の代りに阿弥陀如来立像)「七條大佛師 式部卿」「七條大佛師 法橋康慶」
以上、ウィーン世界博物館蔵品。

近世仏像のために世界に行きたい。

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一足早くバレンタイン

2023-2-4

昨夜帰宅すると、机の上に置いてあった。
在京の上娘らからの一足早いバレンタインデー・チョコ。「あまり(酒を)飲み過ぎず」の文言を添えられて。

例年、この時期は入試(1日より開始)や口頭試問、調査のご依頼(大学教員≠学生(1月末で終了)ではない)など多忙を極める。

帰宅して上娘からのチョコがあるのは、ホッとする。家人ともども食後にありがたくいただく。

日々たいへんだろうが、〇〇ちゃんも頑張れ。

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日系ハーフの画家?

2023-2-7

本日で入試終了、明日は口頭試問(学部)。

幾ら文章重視であっても図版も重要。ところが、図版が小さく老眼にとってはかなり辛い。
図版の頁数は規定枚数に含まれないので、大きくしてくれればよいのにと思う。

仕方ないので、1頁1作品(2作品)で大きな図版を作成し、卒論を読みながら、図版画面をいじっている。

あと図版隅にクレジットが入っているものも。
ちょっとガッカリ。
「ラファエロ・サンティ」で日本語で検索してもお目当ての図版はなかなか出て来ない。
「Raffaello Santi」で検索しないと。

ラファエロは、日系ハーフの画家ではないんだから・・・。

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口頭試問

2023-2-8

朝9時から口頭試問。久々の早出。
主査、副査ともに卒論13編。

ロミオとジュリエット、カラヴァッジオ、小早川秋聲、フェルメール、ビアズリー、百鬼夜行絵巻、シェイクスピア、小早川秋聲、エル・グレコ、美男子等々、多彩な論題。
終了は17時過ぎ。

流石に疲れたが、再提出はなく安堵・・・。
本日は早い目の帰宅。

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うち(のゼミ)は行わない

2023-2-10

小春日和の昨日とは、うってかわって寒い一日。

大学まで来ると、3学舎の前に「長谷ゼミ卒制展 ソシオAVホール」の立て看板。えっ?

ソシオAVホール(3学舎)で卒業制作展を企画しそうなのは、社会学部か環境工学部(建築学科)あたりだろうか・・・と思っていたが、教員一覧(学部別)を見ても出て来ず、思わず索引を繰ると、長谷海平先生(総合情報学部)のゼミ。

もし長谷ゼミ(文)が「卒論発表会」を企画したら・・・、
発表後は聴衆(教員ら)からの質疑応答が続き、時には発表者が壇上で吊し上げられ、半泣き状態になって嗚咽を漏らす・・・といった事態も考えられなくはない・・・。いかん、いかん。

以前、たまたま芸術系他大学の卒論発表会を聴講(2014-02-11「御礼」)したことがあり和やかな発表会であったが、うちはそうならないことが、先日の口頭試問でも実証済である。

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擬死再生の旅

2023-2-12

小春日和。熊野へ。
紀伊田辺から富田川沿いに中辺路(R311)を行き、熊野川のT字路を左折すると、熊野本宮大社。

何度か本宮には来ているが、いつも大斎原(旧社地)から参拝。その後少し長い石段を登って熊野本宮大社。
大斎原には、上四社・中四社・下四社・摂末社があったが、明治22年(1889)の熊野川水害で大きな被害を受け、上四社が高台の現社地に、中四社・下四社・摂末社は、旧社地の2基の石祠に合祀。
宝物館はコロナのため休館。

その後、家人の希望で、熊野市有馬町の産田神社へ。参拝後、本殿左右にある神籬の祭祀台(市指定文化財)を見学。ここまで来ると本殿は神明造。

熊野速玉神社へ向かう途中、七里御浜海岸で休憩。名の通り、22Kmほど続く海岸。水平線を眺めながらあの先に“補陀落浄土”があったとのかと妄想。
熊野速玉神社に参拝後、往路の道を引き返して帰途。

熊野巡礼は、山という他界(死)に入り、巡拝して日常の生活に戻る(甦る)、山岳修験の擬死再生の行ではないが、複雑多岐な日常を離れて、久々にリフレッシュ。

帰路ハンドルを握りながら、なぜかカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵を想像。

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東大寺油倉

2023-2-13

某所で東大寺油倉関係の古文書が議題。

油倉の性格は、油(エゴマ油)のみならず米・材木等の保管管理のみならず金融関係(年貢徴収等)も行っていた東大寺財務部と思ってよいとの意見。

ここでふと大黒天像を思い出す。
旧東大寺油倉大黒天像は、後に高輪美術館、セゾン原題美術館を経て現在は文化庁の所蔵(東博預り)。
大黒天像は、厨子に記された東大寺僧玄重の感夢記により貞和3年(1347)に快兼が制作し彩色、図像は絵師法橋観慶が行っている。清水真澄氏の論文(『佛教藝術』)によると、武将神像から施福神像へと変わる早い段階の像とされる。
康永3年(1344)の東大寺大勧進職置文には、地蔵菩薩像も安置され、同置文にみえる玄重、円道、道俊の名は大黒天像厨子銘にも確認できる。

ほかの先生方は真剣に「枡」について議論されている傍らで、こちらは「そんな怖い顔した大黒さんやったら納めるもんも納めてくれまへんやろ。もっと福々しい御顔の大黒さんのほうが、気持ちよー納めてくれますやろ」という東大寺僧の徴収作戦を妄想。

もっと真剣にならんといけないが、つい妄想。

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海揚がりの"仏像"

2023-2-15

小雪舞うなか、某所で調査。

とある絵画作品に、漁師が網で観音像を救い上ける場面。
似た場面は、浅草寺縁起絵巻にも認められる。文字縁起や伝承からも、仏像を海から救い上げた本尊(仏像)の事例は、海岸に近い地域を中心に多くの事例が知られる。

その多くは、たまたま漁師の網にひかかった(「浅草寺縁起絵巻」)のではなく、昼は雷鳴の如く音を発し、夜は光輝くので、漁師は不審に思い・・・という展開。
なんだか、茅淳(ちぬ)の海に浮かぶクスノキ(『日本書紀』)に近い存在。

午後からは仏像調査。
調査した仏像以外に、『大乗院寺社雑事記』にみえる絵師・仏師が記載された台座銘の仏像を拝見するも、最近の修理により台座各部分は緊結され台座銘の確認は不可能、像容もかなりの彫り直しがあり、当初の姿はほとんどわからない。
ちょっと残念。

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版木

2023-2-16

関大博物館ミニテーマ展「お経と印刷」。
出品は、「百万塔・塔納入陀羅尼」(図書館蔵)、「梵漢両字阿弥陀経版木」、版本同経、「鉄眼版大蔵経版木(大般若波羅蜜多経第253巻)」(以上、博物館蔵)の4点。確かにミニ展示。

梵漢両字阿弥陀経版木と比べると、版本経末の「京寺町五條橋東詰町 額田正三郎 が、版木では「京寺町五條橋東詰町 (抹消)  梓」となっている。
人によっては「梓」は「拝」の間違いではないかといぶかるかもしれないが、「上梓」という言葉もあるように「梓」で間違いない。

そこをもう一声説明できないものかと、見てるこちらが思う。 版木は、もと「梓」(木材名)で造られたが、日本では浮世絵の版木などに使われる山桜が主流であったと。

あと、鉄眼版大蔵経版木。作品を見ているのだから、版木の表裏に経文が彫られているとなぜ言及しないのか。パネル1枚だけでもずいぶん見方が変わるのだけれど。

いくらミニテーマ展示と言えど、準備不足、説明不足の感。

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九州

2023-2-19~21

九州某所で調査。
1件目は所蔵寺院から、某武将像等のご依頼。

これとよく似ているので、江戸時代初期だろうか・・・と某記事が示される。
某記事には某市指定の「寛文廿年」「将軍家光公康」銘の徳川家康像。よく似ていますので、18世紀中頃の制作かと。???

市指定品が誤りですと言いながら、現在対になっている俗体の武将像を調査すると、こちらのほうがやや古い。
台座銘には制作とは記されていないが正徳5年(1715)と宝暦己卯(9年・1759)の年紀。
寺誌の記載とほぼ符合し、一件落着。

翌日は黄檗彫刻などの調査。
黄檗宗寺院では、他宗から黄檗宗に宗旨替えした場合、以前からの仏像は撤去されずそのまま残して黄檗様の仏像を新たに安置することが多い。従ってしばしば十一面観音像と白衣観音像が並置されることもある。

やや大きな御像。定印を結び衲衣を着しながら天冠台を付け、地髪は素髪。一見戸惑うも周囲には四天王像と韋駄天像。宝冠釈迦如来ではなくて弥勒菩薩像だったのかと。
堂が改造されていたので分からなかったが、安置場所は正面に本堂が見える四天王殿。

本山の四天王殿は、韋駄天の背後に弥勒の化身である布袋像が安置。しかし此処は日本。通常の弥勒菩薩坐像にしたのかと合点。

いくつかの問題を抱えつつも調査終了。帰阪の途につく。

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渦文

2023-2-24

終日雨天。某所で調査。

最近、内刳りのない一木造の御像(4尺以上)の移動がちょっと厳しいものの、頑張る。
ご褒美がわりに左大腿に渦文あり。欲張って背面なども探したがここだけ。彫り直しがあるものの頭上面も当初。10世紀末から11世紀初頭の制作。
右手と両足は同時期の後補、左手はそれより後の後補。右手・両足は非常に巧いと見ていたら右親指を曲げている。長谷寺式十一面観音像なのかと。

別件で十二神将像の修復のご相談。教育委員会の方は「このあたりは某仏壇店に修理を頼むことが多い」と言い、ご住職も未指定ながらキラキラした修復は困るとも。

まずは事前調査と思いつつも、今回は別案件の調査だったので、改めてご相談に伺うことにする。

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琉球八社の制

2023-2-25

沖縄には「琉球八社」と称される神社がある。
波上宮(護国寺)・沖宮(臨海寺)・末吉宮(万寿寺)・安里八幡宮(神徳寺)・天久宮(聖現寺)・識名宮(神応寺)・普天間宮(神宮寺)・金武宮(観音寺)。

(  )は神宮寺で全て真言宗。ただし神徳寺、聖現寺は臨済宗から真言宗へ改宗。ほぼ社寺全てが現存し、神仏習合が現在も残る。主祭神は安里八幡宮(八幡大菩薩)を除いて熊野三神 。

これは13世紀後半に補陀洛僧の禅鑑が小那覇(おなは)が漂着し、英祖王が浦添城の西に極楽寺を創建して禅鑑を住まわせたことによる。琉球の仏教初伝。

ところが、琉球王府が「琉球八社(官社)の制」を定めて官社としたとする根拠、時期についてはまったく分からない。

やむなく大学に行き、加地順人『沖縄の神社』(おきなわ文庫)〔私蔵〕をみると、1684年(康熙23年)に王府の役所である「寺社座」が創設され、神職が管理されたとする(78頁)。またこの時に波上宮が他社の神職任免を王府に進言する権限を持ったともされる。

おそらく「琉球八社」(ただし金武宮は除外)が決まったのだろう。
ひとまず落着か。

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手癖

2023-2-26~27

那覇へ向かう。あいにくの曇り空。
絵画・木彫・石彫・漆芸・染織・陶芸・金工・楽器(三線)の8分野からなる琉球王国文化遺産集積・再興事業Ⅱの全体会議。

波上宮、護国寺へ。
曇り空ながら波上宮下の崖には水着姿の女性。本土から来たのだろうか。沖縄の人はあまり泳がず、浜辺でビーチパーティのイメージ。

翌日、全体会議。模造復元について意見あり。
とある部会から、前回は京都の職人に頼んだが沖縄にも制作できる職人がおり、地元振興のためにも是非起用してほしいとの旨。
これには多少異論がある。
確かに沖縄にも制作できる職人がいるが、他の部会からの意見にあったように既に手癖がついており、こういうことだろうと職人の手癖が制作品に表れ、オリジナルと比較すると、まったく別制作の模造復元品になってしまう。 出来る限り忠実に模造復元しなければ事業目的に合わないと、苦言。

顧みると、模造復元はたいてい手癖がついていない有能な若い人が携わっている。
勝手な判断で制作されてもこちらが困る・・・。

会議終了後、そのまま那覇空港から関空へ。

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不思議

2023-2-28~3-1

某所で調査。連投なり。

とある坐像。 躰部が左右2材矧ぎとみて調査していたが、のぞき込むと躰部は左右4材矧ぎ?
よくみると、中央材1材を挟み込んでいる。しかも右側部材は敢えて割っている。なぜ?と疑問に思う。
体躯幅が確保できなかったのか・・・。

江戸時代後半になると、山形・平泉寺大仏頭部のように左右3材矧ぎのような構造もあるが、この像の場合、そこまで制作時期が下がるとは思えない。
地方作なのかと思ったが、京都仏師の作品でほぼ間違いない。不思議である。
よく理解できず、調書と写真を撮って帰阪後に検討。

別の坐像。こちらは首が抜け、底板もないので構造理解が楽勝。前後材のほかに両肩部材の上部に1材を挟んだ箱組みである。
首枘を受ける部分のアクロバティックな構造。
製作当初はきっちりと首枘が嵌っていたのだろう。しかし緩んできたので横木で留め、更に躰部材上から支え、なおかつ前傾気味の頭部を矯正するために首枘に内部から木片を挿し込んでいる。
修理はおそらく仏師ではない(少なくとも内部から木片を挿し込む仕口)ようにみえる。

帰途の新幹線車内でも、ビールも飲まずにノートとカメラを見ながら、構造を検討。
江戸時代の仏像とはいえ、構造理解は意外に難しい・・・。
諦めて車内でビールを注文。宿題である。

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