日々雑記


お雛様

2023-3-2

不在中、家人がお雛様をセッティング。
年に1度の御開帳(とはいえ、3日を過ぎると仕舞うのだが)である。

猫(九郎・四郎)がいるので、最上段にご鎮座。
残念ながらスペースの関係でミニ屏風はなし。
それでもスポットライトを当てると映える。

猫は何とか触ろうと試みるも絶壁の前にして断念し、ニャ~ニャ~と上を眺めている。

春はもうすぐそこまで。

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高村東雲

2023-3-3

知己の先生から調査のご依頼。高村東雲の仏像。

以前、関大PTAと名乗る人から「院海」銘の仏像の”苦い経験”(2017-10-24 評定)もあって、「高村東雲」と聞いてちょっと引いたが、身元確かな方なので、快諾。

高村東雲。実は歌川広重のように同名仏師が3人存在する。
初代は光雲の師匠、2代目は光雲の娘婿、3代目は晴雲とも名乗る仏師。
東雲(初代)の師匠は高橋鳳雲、作品は東京・足立区に秋葉権現像(1873)、神奈川・泉福寺阿弥陀三尊像、善導・法然像(1858)など少ない。
今回の作品もどのように保存管理すればよいのかとの質問。

あらゆる面で師匠と弟子との大きな落差は、そのまま現在の彫刻史研究(近世・近代)をみるようである。

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ITは苦手

2023-3-6

とある少人数の会議。小生が議長、招集。

昨今のご時世、Zoomにしたのだが、繋がらない、繋がってもどこかと混線。
あたふたしていると、参加者から「設定が3月1日になっている」とのご指摘。すぐさま別のURLを出すもしばらく混線。やむなく強行。

めげながら帰宅すると、我が家のIT大臣である長女より連絡。
何事かと思いつつ話を聞くと、小生の携帯が3月末でメンテナンス・サービスが終了するため、携帯の買い替えを考えろとのこと。
携帯はいつもショップで適当に選んでいたが、調査などでiPhoneの写真がすごくきれいだったので、「iPhoneかな」と返答すると、「おっしゃ!」とさっそく機種選び。

間もなくiPhoneになります。使いこなせるかどうか、不安いっぱい・・・。

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東山大仏

2023-3-7

某所に提出した原稿(初稿)が送られてくる。
近世大仏の歴史の部分で、方広寺大仏についてもっと詳細に書いてほしいとの指示。
序論にあたる部分なので端折って執筆したものの、今年2月に河内将芳氏の書籍が刊行されたので参考にして下さいとの添え書きも。
新説でも出たのか・・・。

大慌てで、図書館で同氏『秀吉の大仏造立』(2008年)を借り、そのまま書店に向かい、同『秀吉没後の豊臣と徳川‐京都・東山大仏の変遷からたどる』を購入。直帰。
帰宅までの約1時間、頁をめくりつつ読んだが、大仏自体の新見解はない。ご丁寧に拙稿まで引用。
結局、端折った部分を補充せよとの指示だったのか。

ほっとしたものの、読了後は歴史研究者が描く東山大仏は、愚考よりももっとビビットな内容で、大いに啓発を受ける。

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沖縄の仏教彫刻

2023-3-10~11

再び、那覇。沖縄県立博物館・美術館で講筵。
2020年3月15日(2020-2-28 続々中止)のリベンジ。

前泊・後泊、どちらでもいいからとのことで予約せずにいたら、学生が春休みなのかどの便も満席近い。初便・最終便しか空席がなく、午前中に那覇に到着。

那覇市歴史博物館「朧型の紅型衣裳/三線と工工四」を見学。チラシにもあるように県庁前駅から5分で国宝を見ることができる。因みに「工工四」(くんくんしー)とは楽譜のこと。
桃色地波貝藻流水文様紅型木綿袷衣裳、空色地貝藻梅紅葉松葉木目文様紅型木綿袷衣裳(共に国宝)などをじっくり拝見。
昼食後、沖縄県立博物館・美術館を見学。
常設展見学後、2Fの「大嶺薫コレクション展」。東恩納博物館の誕生関係の書類等が展示され、その後は琉球勾玉の資料や関係資料。こういう資料は活字化出来ないものかと思ってしまう。
閉館後、博物館関係者と一献。ホテルに戻って明日の微調整。

講座には80名ほどが参集。仁王像に始まり円覚寺の各資料を紹介、その後に補陀洛渡海、神仏習合から神仏分離まで話は及ぶ。

沖縄(琉球)の神仏分離は明治23年のことなので、廃仏毀釈は存在しない。沖縄戦がなければ、どれほどの仏教資料が残っていたのかかえすがえすも惜しいと強調。

最終便にて帰阪。

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調査

2023-3-13~14

関東某所で調査。東奔西走。

近世の十一面観音立像。年紀はないものの17世紀末から18世紀頃の作品。毛筋も細かく彫り、頭上面も小さく添えられる。
どうやら寺堂の再建と重なる時期らしいとの由。寺史に新たな1頁が加わりそう。

別寺の観音像。こちらも同様な制作時期だが、ちょっと面白いものを見つける。光背に嵌め込まれた鏡。
「上嶋和泉守」の陽銘。表された文様は雪舟《山水長巻》風の一場面に大きな松。

鏡の文様も流行があるのだろうか。
この仏像が制作された頃、尾形光琳が江戸へ出て武家屋敷で(伝)雪舟の絵を、いやというほど何枚も模写している。

あと、近世の仏像をいくつか調査。ほとんど無銘ながら上記の仏像とほぼ同じ制作時期か幕末頃の小像である。

無銘ながら京都仏師の作品とはちょっと異なるので、江戸仏師の作品だろうか。
昔、とある重鎮の研究者が江戸時代の仏像を「立てば快慶、坐れば定朝、怒る姿は運慶風」と、常に決まりきった姿形でしか像を造らなかったと評したが、それは仏師が没個性であったわけではなく、仏像を求めた人たちの希望であったといえ、 単に形骸化していったわけではない。

江戸市中の仏師研究もまだまだ。これがわかると随分と助かるのだが、道半ば。
夜遅くの新幹線で帰阪。

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夜間調査

2023-3-15~16

早朝に自宅を出て某所で調査。
今回は久々の夜間調査(2020-10-13)も。

盛り上げ彩色のある仏像。保存状態がよく、ちっとも構造が分からない。
拝観寺院なので日中は表面観察に終始。
怪訝な表情で調査をご覧になられる拝観の方。お詫びに仏像の説明と調査の目的を説明。
解説を聞きながら調査中の研究者が「我々も解説を聞きたい」と。

午後からは拝観者も途絶えて、こちらも調査に合流。夕刻に閉門され御寺の職員氏も退出後、いよいよX線撮影。

セッティングを済ませ、X線照射。機材の関係でONのスイッチを押すと、猛ダッシュで退避。若い人達もいるので、ここはじぃさんの役目。
当り前ながらX線は放射線なので、曝露すると生殖細胞に大きな障害をもたらす。
「ハセさん、よろしく。」と全員避難した後にスイッチオン。こちらもガイガーカウンターをもって猛ダッシュ。

ブーザーが鳴るとフィルムを交換してまたスイッチオン。これを何度か繰り返すと、仏像のX線撮影が完成。画像をパソコンで見ると、千切が2つ、ダボ枘が確認。
これを2日間実施。

当面の目的は達したようで皆満足しながら帰途へ。
2日間、お疲れ様でした。

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修復工房にて

2023-3-17

某仏像修復工房にて修復中の仏像を拝見。

制作仏師からすれば、それまで長く3尺程度の仏像を製作・修理していたのに古刹から1丈の大作を依頼されては断るわけにいかないし、どのように木組みをしていいかすら分からない・・・。
えぃ!箱造りを基本にして表面に彫刻を施せばなんとかなると、思ったのかも知れない。
修復されている方曰く「確かに彫刻はちゃんと彫っています」と。

そこから造像仕様の話になり、いつしか脱線し「仏師新佛古佛再興目録」(2020-10-19 すきなすび)の話題へ。
非常に興味深く無駄話を聞いて下さったので、当該関係資料をお送りすることに。

担当の方が転職異動との由。
これまで色々とお世話になり有難うございました。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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卒業式

2023-3-20

午後より卒業式・卒業証書授与式。
祝辞のあと、卒業証書授与等のルーティン、写真撮影して解散。

今どきのことなのか、大学も卒業生もみんな自分中心。コスプレして壇上に上がり、おめでとうという言葉に熱はない。
たった(もう)というか、7年前にはこういった←光景もみられたのだが、今や皆無。
個々が満足すれば、それでよいのかとも思う。

何が原因なのかよくわからないが、一行事と化してしまった感のある卒業式。
せめてオープンキャンパス程度に盛り上がろうよ、と思うもののそういう“ノリ”はもはや時代遅れなのかも知れない。

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パソコン崇拝

2023-3-22

過日の調査中の折にブチギレ。拝観者や調査メンバーではない。

午後からの拝観者対応を終えちょっと大学メールを見る。留学生からの研究生希望。
読めば、某大学アニメ制作学科三次元建築コース卒業。
日本寺社建築の彩色を撮影しパソコンソフトを使用して配色を比較し、集めた写真を通してパソコンで配色パターンを復元、実作品の彩色復元に応用する研究を行いたいと。

こっちは拝観者対応しながら、蛍光X線をあてながらここは鉛(Pb)を検出したので鉛白、ここはカルシウム(Ca)を検出したので胡粉、この青は群青なのか藍なのかというようなことをしていた直後のことなので、もうブチギレ。
私はパソコンによる彩色復元は全く興味も関心もありませんのでお断りと、返事。

AIによる彩色復元もたいがいヒドイが、それらを信奉する者の感覚もどうかと思う。
(写真は調査メンバーによる調査)

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伝記屋さん

2023-3-23

戦前の一実業家の伝記。
読むと、なかなか事実、特に年代と矛盾する記述が幾つか散見。

あとがき「校了に際し」を読むと、伝記の成り立ちがよくわかる。
実業家の息子が父の生涯を書き残すため、大部の原稿を"伝記屋さん"に持ち込んできた。
そこで、"伝記屋さん"は、息子の一任を受けて章節の変更短縮、字句の省略など手直し、逸話に関しては記述簡潔にするために改めたとある。 祝辞・演説の類に関しては原稿と既刊書(現状未確認)を照合したとしている。題字は宇垣一成と湯浅倉平。

時間もないのに、執筆の必要上から戦前の"伝記屋さん"の誤謬を糺す大学教員。

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神殿

2023-3-24

朝から國學院大學へ。打ち合わせと相談。

約束の時間まで少しあったので、大学構内に入ると、なんと神社(神殿)が御鎮座。さすが國學院大學。思わず参拝(賽銭箱はない)。

母体である皇典講究所は1923年(大正12年)に國學院大學が飯田橋から氷川裏御料地の払い下げを受けた渋谷へ移転。
理事の和田豊治は、「学神」を鎮祭する神殿建立を希望し多額の寄附を行うも関東大震災により神殿着工は大幅に遅延、和田は神殿をみることなく亡くなる。
その後、昭和4年(1929)11月に起工、翌年5月1日に竣工、御鎮座奉祝祭を斎行。設計は内務省神社局技師・角南隆であったが、計画変更に伴い小林福太郎に変更。
昭和61年(1986)には屋根の葺替工事(銅板葺替え)など大規模修理を経て平成5年(1993)の第61回神宮式年御遷宮に伴う神宮旧殿舎撤却古材(豊受大神宮御正殿の一部、板垣壁板約10枚13.25石)を拝受し、翌年に本殿修復と幣殿、拝殿を増築。
参拝後、大学の歴史はこうあるべきじゃないのかと。

夕刻、関係者と恵比寿で一献。

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李王職美術品製作所

2023-3-27

現在、鋭意 工芸品目録作製中。

梅紋に「美」の文字と書いたが、調べてみると興味深いことがわかる。

梅紋ではなく李花文で、李花文に「美」字は、1910年の日韓併合後の李王職美術品製作所(李王家直属の美術品製作所)のマーク。同美術品製作所は1922年に朝鮮美術品製作所となり、引き続き青貝漆器、擬高麗青磁を製作する。 この漆器もどちらかと言えば後者の製作であろうか。
ちょっとびっくり。

阪急最終電車、タクシーで帰宅。
大学事務から目録提出の督促メールが来る。君らは高利貸か・・・。

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完成

2023-3-30

引き続き工芸品目録作製。大学泊も2日目突入。
ようやく最後のリストを仕上げ21:00頃に完成、梅田キンコーズに向かう。
印刷製本の依頼をして3日ぶりの帰宅。

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納品

2023-3-31

お昼過ぎに梅田キンコーズに向かい受領、そのまま某所へ納品。

今年度の仕事(岐阜大仏、工芸品目録など)もすべて完了。ようやく春休みを迎える。
帰途の桜も満開。

この齢でこんな仕事をしてはいけないのだが、仕事の足を引っ張る輩があまりにも多い。
至極、迷惑千万。

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過去ログ